シャウターズ5thアルバム「さらば青春」MP3公開 ・・・・・  聴いた方はぜひアンケート投票を!
2004/01/31土  「THE LAST SAMURAI」見にいってきマスた

ホントはコレを見るつもりがやってるトコがワカらなかったので。続々賞にノミネートされてて連日ワイドショーの主役 ※古賀氏にツグ
だったし混み具合に心配したけど

ガラガラ ※動員30人前後 恐るべしうどん王国 でした。 デキのイイ邦画を見てるよな感じでイタく感動しマスた。
土曜日の夕方でコレなんで平日の昼ならほぼ貸切か!?極力映画館に足を運ぼうと思いマスた。
2004/01/30金  ちなみちゃんからメールが!

古くはREPLAYS、そして東京シャウターズをササえてクレた元スタッフのキュートな女性から久々の連絡が。いつも仲間(シゲちゃん、かっちゃりetc)とダベってる時に

その生存すらサダカではない

存在として認識さててたので正直ホッとしマスた。ていうか住所(東京)変わってないとのコト。灯台下暗。トテモこの日記には書けないよなスサマジイ5年間やったらしく少しでも力になれなかったのかナンテ無責任に思ってみたりしマス。まだ東京でがんばると言うので私がギター持ってイクまで待っててくらさいヨ。
他にも元ストレートバンドのDr竜太クンやら嬉し懐かしの連絡が結構あってホントCD送って良かったなあと思いマス。大半が(CD自体)評判エエし(笑)。正直、年賀状は久々のヒットでした。
2004/01/29木  ニュースに詳しい生活

朝寝ぼけ眼で見るめざましTV他、朝食のお供の読売新聞、工場の作業中の随時TVニュース、昼食時のそれらを総括する会話、以降不定期のインタネット、お父ンの焼酎とトモに反復される夕食時

古賀議員最強

タレントに転身し汚れ役としてコントに出演するかSEX PISTOLSのVoになるしかないのでは。そんなコトよりも涙目になるトコロが

O崎さんソックリ ※ガネーシャ元店長 顔がそもそも似ている 但し店長はロン毛

でアール。
2004/01/28水  旧友の店で散髪

中学時代の一番の親友の理容店へ。一緒にシブがき隊を歌い踊ってた奴だ。高校でバラバラになりその後家業を継ぐタメに専門学校にイクと言ってたからおそらく店にいるだろうと打算的にアポ無しで2kmの道のりをゼンリンの地図と昔もらった年賀状に書いてある住所をモトに歩いていった。そしてすっかり改装されてキレイになった店内にかつての友、I野はいた。喜んでクレ私も嬉しく彼と彼の両親の全く変わらない姿のおかげで20年前にタイムスリップするコトがデキた。専門学校後の他店でのキビシイ修行時代から結婚2児をもうけて一軒家購入と、その変わらない風貌からは想像もデキないもう一つの20年の青春を聞き感慨深い。他の同級生の話も聞け、逆に私のリアルロック史も包み隠さず述べ

やっと田舎に帰ってキタ気がした

当時録音したカセットをCD化したもの持参での再訪問を約束し「さらば青春」を置いて歩いて帰りマスた。
2004/01/27火  関西ツアー補記 ATMの感動 関西ツアー初日のお話。京都時代のメインバンクだった京都銀行のキャッシュカードを持参してATMへ。上京してから働き出したG社の給料振込先指定銀行じゃなかったので次第に手にするコトがなくなってたカードだ。8年間の山あり谷ありの残高で上京直前のジリ貧状態のナカ愛車エスクードと大量CDをに売りサバいて一時的に資金を作った記憶はあった。でも長距離引越し代アパート契約代1ヶ月のプー生活代で枯れてたに違いない、おそらく数百ペソだろうと思って挿入すると 65,000ペソ が表示され絶叫即全額引出。10年間取引無で消滅システムをウワサで聞いてたのでゾッとするとトモに何で激貧派遣時代(特に笹塚現場前後)に確認しなかったのかという憤りに加えそれに手をツケるコトを許さなかったG社の過大報酬に感謝。このペソは大事に使いたい。具体的に REC機材代 としたい。他に銀行1種信用金庫2種のカードがあるけどドレダケペソあるかなムフフ。
2004/01/26月  関西ツアー4日目 大阪の昼

朝イチに1号線へ。途中エンジンがものスゴくかかりずらくなりガススタで見てもらったらバッテリ寿命というコトながらも特殊という専用ブツの在庫がなく「次停車したらカカりませんヨ」と脅されながらオートバックス系を目指して再び渋滞のナカへ。ホドなくして

モーレツに便意が私を襲い

コンビニに突撃。祈るようにキーをマワしたらカスかな音とトモにカカったので阪神高速の予期せぬ大渋滞をぬけ思い切って目的地・本町に到着。お母ンらと落ち合う。本日は家業の化粧品店兼洋服屋の仕入れ作業。日本一の問屋街である御堂筋線本町は10年ぶりだ。ユニクロがブレイクする前で、一緒にいった友達(私の兄弟という設定でモグり込む)とトモに都度数十着購入していた。
※基本一般人は入店デキない
捨てないでいた通行証で入店し手押し車に無造作に洋服を放り込むおばちゃんら ※おそらく店に帰ってキレイに陳列
を見ながら自分の服を探すがお母ンの超速な移動に翻弄されイマイチ買えなかったのが悔しい。やはりコノ街は友達とイクに限る。勝負ライブに着用してきたウルトラマンのTシャツも赤いアロハもコノ街で格安で購入したけど後を継ぐブツは次回に何としてでも。
客にコビない街は17時に一斉に閉店する。急いで車をマワり大量の在庫をツメ込む。それから再び阪神高速へ。2度目となる海越えはもう慣れたもんで垂水ジャンクションのグルグルまわる道もこなし

サービスエリアの交代トイレ休憩 ※エンジンを停止させない

をはさみ無事実家に到着しマスた。今回ネイキッドじゃなくデミオという1300CCの車でいったが全然楽でした。逆にネイキッドを車庫入れをしたら全くスピードが出ず今までこれで高速ノリまくってた自分を誉めたいデス。
2004/01/25日  関西ツアー3日目 京都競馬場の昼

午前中に親父さんに連れられ久々の淀競馬場。初めて指定席を取ってもらいガラスばりのスタンドへ。巨大な室内といった感じで暖房もイキ届き全然寒くない。そして6レース新馬戦をいきなりゲト!

といっても120円の単勝を100円のみ


エアグルヴの第二仔イントゥザグルーヴが本物の強さを見せ記念すべき今年初戦を飾らせてクレた。まあ後は

当然全レース敗戦


でしたが。昨夜「勝っちゃん」で受け取った「さらば青春」の売上金全額分をきっちりJRAに収め後にした。夜は山科のグリルいずみでやけくそロースステーキとハヤシライスで満腹でした。
いい席でオケラ
2004/01/24土  関西ツアー2日目 北山の夜

「京都のラーメン100」というものスゴい本を購入した。てか100軒もあるのかという感じだが、それによると元祖京都系というのが3店舗あって京都駅の第一旭新福菜館に加えラーメン藤というのが含まれいったコトないので地図を頼りに本店にたどり着いたら

最初に一人暮らししたマンションのスグそば
 ※烏丸十条

だった。とにかく飲食店が少ない地域でラーメン藤も何度も通ったコトあったのだが客も少なく怪しげな雰囲気からどうしても足を踏み出せないでいたのだった。しかし本日は(雑誌に掲載されたかどうかはワカらないが)若干並ぶホドの盛況具合で何より第一旭を超えるぐらいウマくショックでした。上記3店は傾向が似ててあっさりコクあり醤油に九条ネギ。当分ハマりそうである。
夜は北山へ。出産をひかえた快人夫婦以外は全員「勝っちゃん」に集合し二代目の次PCにツイて熱く語りマスた。車だったのでノンアルコルビアーでガマンしたけど意外にウマかったデス。
友と宴
2004/01/23金  関西ツアー初日 祇園の夜

いつも通り朝食を食べて檀紙インターから高速突入。淡路島のどっかのSAで5分休憩をして京都南インターに到着したのが2時間45分(237km)だったよ、二代目。 ※彼らは10時間ぐらいカカってる
真っ先に第一旭本店を目指し特製ラーメンを爆食したのち宇治をブラついて京都の実家で休憩し祇園へ。シゲちゃんと某大物ミュージシャンが週一回演奏するバーへ。小奇麗な感じのお店でしばし談笑した後演奏を見る。懐メロをアコースティック編成で大物ミュージシャンの超絶安定したバッキングと数をこなしてるダケにバツグンの呼吸のChoの二人組だった。そして何か知らんケド私も呼ばれ思いもカケず滋野誠と◆たんこ◆の演奏も

01-また逢う日まで
02-翼を下さい
03-ワルサーP38


今年一発目の演奏となりマスた、ありがとう。再度談笑してる間に二部が始まった。シゲちゃんがトバして最高だった。大物ミュージシャンの熱い語りや長時間のお酒で祇園を満喫。タクシーで淀の実家マデ3,750ペソでしたMKタクシー。
場末でのキラメキ
2004/01/22木  アルバイトブルース#07〜11 京都末期

青春の店ガネーシャを退店し抜け殻状態ながらもしばらく並行してやってた

07-怪しいバイト 1,000ペソ

はしばらく続けマスた。これもいろいろネタあるけどサイト的に好ましくナイので割愛しマス。で、それをダルさからエスケープしソコでおぼえた競馬がバカ当たりなんかしてそれで食いつないでマスた。とはいえ激貧で、しょっちゅうギターを買うチャンスをクレたガネーシャに感謝してマスた。タマに

08-RAGのDM封入 日給5,000ペソ(弁当付)

のお声がカカって正直助かったデス。これは事務所(南インター近く、河原町の2時代)で顧客に送るDMの折り・封入作業を数千枚延々とするというモノで担当のマッツや古川さんとダベりつつ強制的にシャウターズのTAPEをカケる感じで楽しくやってマスた。あの作業があったから後のCD製作の切り・折り・貼り・入れ部分が違和感なくヤレたと思いマス。RAGは他にもビラをマンションのポストに投函するのや、ポスターを貼らせてもらえるよう飲み屋に交渉するのやしまいには店員のヘルプまでやらされマスた。昼間の貸切パーティーでカウンターに入りマスたよ。現金じゃなく飲み食い放題でゴマかされたトキもヨクありマスた(笑)。楽しかったけど。

09-滋賀の工場 日給10,000ペソ

ペソ高さに飛び込みマスた。早朝7時とかに山科から送迎バスの乗り込んでイキます。車内には普通の若女もけっこーイテおっさんばっかやと思ってたので

これはチケット売れるかも

とワクワクして初出勤。しかし電動ネジ回し機で延々と謎の機械に差し込むという作業内容がロックじゃないと判断し翌日からバックレますた。

10-DTPオペレータ 800ペソ


当時MACをさわり始めててそれを生かせるバイトはないかと探しまくり辿り着きマスた。一応初めての椅子付(デスクワーク)でNHKの連ドラ(「あぐり」)を見てエスクードで出勤し向かいの病院の駐車場に停めてたコトは内緒デス。バリバリMAC作業を期待するも、ほとんどさわらせてもらえず巨大な昇華型プリンターに寸分の狂いもなく4色のセロファンを差し込むのを延々と。かつ新卒が1〜2年で辞めてイクほどの雰囲気の悪さで半年ほどでバックレますた。ただしこの職場でイラストレーターもおぼえられたし、何よりライブにかなり来てクレて嬉しかったデス。飲み会で日頃のうっぷんを晴らす感じで「サタデーナイト」を彼らに捧げ感動されマスた。ムカデハウスで鍋もやったなあ。 追 ココではほとんどスキルはツカず後にG社でMKに教えてもらったコトばかりですデザイン系は

11-家庭教師 2,500ペソ


DTPオペの前から上京直前までやってマスた。Bやすぼんの紹介で桂まで週1〜2回。エスクードを小学校脇に路駐。小学生の姉弟で私でもワカらないよーな算数の問題を目の当たりにし贔屓目に見ても希望の私立中学は無理だろと思いつつNintendo64を勉強のジャマになるからといってムカデハウスに持ち帰ったり、問題をやらせてる間に解答本にはさんだ探偵少年コナンを全巻読破したりと有意義なバイトでした。ていうか

そろそろ大学受験やと思う

けどどんな人生歩んでルのかな?

ガネーシャ以後は完全プーの時もけっこうありマスた。とはいえ作曲ナドはせず延々とファイナルファンタジーやダビスタをやったりして。今思えばどうやって生活してたのか。ただ言えるコトはそういう時は例外ナクひもじい生活で、慌しく働いてル時はお金を使うヒマもなくタマにその労働がエレキギターに化けてたけど何が言いたいかというと

自由には金がいる

上京後はG社→派遣テナ感じで今家業でんす(続


←戻ル



2004/01/21水  カタログ作成開始

家業で新商品を開発中なのだがそのカタログ作りをマカされやり始めた。製品の図面が随所に配置されるモノだがその部分は一般的にCADソフトで作るらしい。建築設計だけじゃなく機械製図にも使われてるというコト。まあそれでメシ食うホドじゃないので本格的なヤツじゃなくフリーのを落としやってみようとするも全然ワカらない。後学のためマスターするコトを誓いつつ図面以外の部分はやはりイラストレーターで。コレは慣れたモノで

私の6年間の東京ライフで初めて仕事に役に立った

かも。ホント、今までのスキルがほぼ無意味というコトを覚悟してたので若干ホットした。世の中にはいろんな仕事があるなあ。

追 このBASSスゴくない!?
2004/01/20火  アルバイトブルース#06 ショットバーガネーシャ 5/5「退店」

顔を真っ赤にした経営者が怒鳴り込んでキタ。その頃ヤル気のない我らは日々2時マデの営業のトコロ0時に客を追い出していて運が悪いコトにその中の一人に経営者の知り合いがいて発覚し

知合追出日出勤のN西師匠とM田がその場でクビ

で経営者は私にも「ヤル気がないなら辞めろ!」とセマったが戦友の意思を引き継ぐベク残留を表明した。一人になった店内にブローニュの森(系列カラオケ店)の店長S田さんが呼ばれ「大変やなあ」ナンテ言いながら2時の閉店時間を待つ。上(N西師匠が住む寮)へ即効上がると師匠とM田が

引越しの準備をしていた

苦学生で無料で寮に入れるという理由で働いてキタ彼も給料はおろか住む場所すら奪われたのだ。師匠の車だけじゃと絶叫オフィスからエスクードを持ってキテ2台で実家の奈良県へ向かう。前をイク師匠とM田が乗るカッコインテグラを見ながら不謹慎ながらも

新曲「帰れない」を爆音で数時間練習 ※直後のライブで師匠のMCとトモに披露

してたなあ。到着して荷物を降ろし一泊させてもらいご飯ごちそうになってM田連れて京都に帰った。ナンカすごく淋しかった。
絶望の中、出勤する。既にK祥は退店してたしK村も就職活動を理由に辞意を表明してたので残るスタッフは私と入店後間もないNぴょん(イツまでたっても弟分タイプ)のみ。というコトは

ちゃんと酒を作れるのは私のみ

まあアリガチな話だしヒマな店、とはいえ現実は厳しい。ヘルプでブローニュの人も来てクレるもシェーカーは振れない。振らなくとも、ジントニック一つ作るのにもやり方があるのだ。とりあえず、出勤する日は私が孤軍奮闘した。休みの日は考えないよう努力した。経営者が気をきかせドンドン人を雇った。酒乱の店長もキタ。上下関係の法則は即効崩れた。そして先輩が後輩が私があこがれた聖域であるシェーカーが置かれた場所の敷居までなくなり素人が作ったカクテルを同料金で提供した。一人練習するNぴょんを見るのが悲しかった。基本新しい人らもヤンキー風が多く文化の違いからなじめない。キタくんが不気味に復帰してきたがもう彼はロッカーではなかった。なんとか昔のように戻す、というよりも生活のタメとダラダラと働いた。そんなこんなで1年ぐらいガマンしたけど気付くとショット・バーじゃなくスナック(姉ちゃんのいない)みたくなっていたのに気付いたトコロで私の役目は終わった。酒乱の店長に日々おごってもらい(ホントはイキたくなかった)泥酔状態の太陽のぼりカケのナカ祇園のお茶屋へイキやたらコシのあるそうめん(1,000ペソもするボッタクリ)を頂きながらバンドに専念したいタメとワケのわからない理由でもって辞意を表明した。そしてこの3年半ほどの夜の生活を「とりあえずこの場所からさようなら」という曲に込めた。とても日記には書けないイベントもたくさんあった。大学もイカず生活の一部だった。ガネーシャはシャウターズと並ぶ私の青春だ。


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2004/01/19月  ほぼ一日中設定

復旧しW2Kをインストまでで数ヶ月放置してた旧アスロン君を使えるようにいろいろ仕込む。なんだかんだ時間はカカるモノ。末期の頃、あんなに音が気になってたマシンが道路沿のビルというコトでストレスはないが3FREC時はどうなのかと関係ないトコロでナーバスにもなった。とにかく2Fが拠点という感じで旧アスロン君と無線ブロードバンドルータに加え

G4
(歴戦の功労者)
iBOOK(売却したオレンジと一緒に買った青い初代モデルでお父ンが新品同様に保管)
PC-8801mk2SR
(5インチFD2基搭載HDなしのゲームしか動かない骨董品)
MD-5500
(歴戦の功労者激遅プリンタ)
PM-760C(iBOOKと一緒に購入し写真を2枚ホド印刷した後お父ンが新品同様に保管)
SCSIスキャナ(言うほど使ってない)
SCSICD-R(歴戦の功労者1000枚以上焼いた結果挿入にテクがいる状況)
SCSIMO(歴戦の功労者未だに超重要なバクアプファイルはこいつから)
SCSIHD(REC初期に活躍も10GBで何かの台としてのみ使用)らが集結し

大半を永遠に接続しないのでは


と思うホドだ。そんな中放置されてたPM-760Cを恐る恐るツナげたら動いてクレてホットした。旧アスロン君は常時起動なんでプリンタサーバとしても機能してもらおう。まあこのアタリは有線なんでイイとして ※NetBUEIを入れ忘れネトワクに入れず悩んだが
問題はノートPC。1Fお店じゃ問題ないが1F食堂では感度が怪しくネトサフィン中にそのあおりを受け落ちたりする。ネットが落ちるんじゃなく

OSが落ちる 
※起動ダケは速いME

まあこればっかはこの2ヶ月酷使のタマモノか。せっかくお母ンが新品同様で引き渡してクレたのに。2Fのルータ近くにイクと50M(ネットじゃなくローカル)なのが食堂じゃ1Mだ。頭をヒネりあまってた無線BOXからLANケーブル接続すると出口あたりでマズマズ繋がる。BOXの置き場所を工夫すればケーブルの届く範囲でネットワークに入れるのか。これでナントカなるかな。ん!?

無線の意味がないのでは

色々試してミマス。

4F アキラメ気味 ※廊下ならノート可
3F 新アスロン君(有線接続)
2F 光→ルータ、旧アスロン君(有線接続)、G4(未接続)、iBOOK(未接続)
1F ノートPC(無線カードor無線BOXからの有線接続)
2004/01/18日  アルバイトブルース#06 ショットバーガネーシャ 4/5「うそつき王子」

O崎さん脱落後N西師匠と私を中心とする学生バイトのみで構成される状況の中、次期店長候補がちらほら社員として入店してクルも

変なヤツばかり

でした。元プログラマーっちゅう奴(名前も忘れた)なんか協調性もなく仕事も文句ばかり言った上に即フェードアウトしてイキコンピューター系ナンテロクなもんじゃないと思った職業を

後に数年やりマスた

K藤という奴が入店してきマスた。ルックスはケンちゃん並ながらも饒舌であるコトないコトしゃべりマクリます。話半分に聞きながらもイイひまつぶしてな感じでした。その調子の良さから経営者にも気に入られおそらく店長になるんだと思ってたのデス。ある日彼が

「出張ホストを始めマスた」

とヌカしマス。スゴい美女(銀行の重役の奥さん)とかが客で服とかいっぱい買ってもらえるとのコト。武田鉄也的な風貌でもあった彼の戯言と我らが笑うと怒って店を飛び出し大爆笑してたら帰ってきて何やら袋をサゲており中身が

松坂牛とマスクメロン

でコレを今宵の賄いにしまSHOWと。そんなイイ肉のステーキに焼肉のタレをカケる彼の感性を疑いつつ超絶ウマく頂き以後毎日のように豪華な振る舞いがあり「こりゃリアルなのかも」と思ってたら

店にこなくなった ※自腹で払うと言い切った雑誌掲載料も未納のママ

のデス。当時流行した出張ホストサギの餌食だったのデス。 ※最初ダケ甘い汁を吸わせ、後で難クセつけて莫大な金を要求する

面接から日々の業務に至るマデ必要以上に詳細を聞かされてたのでゾッとしマスた。おそらくヤクザに追われてルのでしょう。んな教訓を得た我々の前に現れた友人で常連でもあるT橋君が「出張ホストってスゴく儲かるらしいからヤッテみたい」と面接直前マデいってるのを総出で引き止めマスた。
うそつきK藤は最後だけリアルな話を残して去りマスたがしばらくして市内ハズれのパチンコ屋で店員をやってて顔見にいったりしマスた。追い込みと勘違いしてビビってたけど。彼をテーマにしたのが「うそつき王子」デス。んな感じで社員不在の状態が続き経営者は我らがイジメテ辞めさせてると勘違いしててイタかったっス。ただし店長不在の状況で得体の知れないヤツからガネーシャを必死で守ろうとしてたコトは事実だった。O崎さんはいなかったけどこの時代が一番充実してて楽しかったかも。

N西師匠(バイト)・・一生の親友でもあり努力家 
◆たんこ◆(バイト)・・一生リアルロッカー
K村(バイト)・・初の後輩で同じ大学で和製トムクルーズ愛称"トム" 下とブツかり逐一フォロー
K祥(バイト)・・イイ奴 仕事上がりの深夜の友
M田(バイト)・・元ヤン→更生→同じ大学 牛乳をウイスキーのビンに入れ持ち帰る
Nぴょん(バイト)・・お寺の息子ながらも外大 癒し系で店のマスコット 「帰れない」という曲のモデルでもある

--短命--
H(バイト)・・初代深夜の友 彼の中古のサーフで市内豪遊(K村と衝突)
O部(バイト)・・すらっとした体型でドンブリめしをおかわり(K村と衝突)
Sワ(バイト)・・師匠が紹介 根暗ながらBUCK-TICKのファン(K村と衝突)
O原(バイト)・・私が紹介した軍団の1人 とある事件でクビ


←戻ル・・・進ム→


2004/01/17土  光さんコンニチワ

待ちに待った光ファイバ導入の最終工事日。お昼に巨大なクレーン付トラックとトモに業者がやってキタ。電線に混じった外部光線をクレーンにのって引き寄せサビついた配管を通し無事2Fの応接間まで通してサクっと帰っていった。そしてブロードバンドルーターを買いに出発。先述の通り未だ機器は決定してないながらも速い高級品であるというコトと無線LANカードと無線LANBOX(有線LAN接続デキるもの)もセットで購入するという決意でネイキッド。先にネトカフェ(イキオサメ)でプロバイダと契約(5秒)した後、コジマ電機でマニアックな店員と遭遇しコレにした。にしても

NECとは一生カカわりたくなかった


が、セキュリティがイイというので35,000ペソと引き換えに一式購入。帰りに保険というか有線で2Fから3F絶叫オフィスを結ぶという壮大な計画のタメに巨大な日曜大工の店で30mのワイヤーも購入2,000ペソ。さあインスト。業者が設置していった装置から購入した本体(アクセスポイント)にLAN接続してマズはノートPCにチャレンジ。事前に調べてて不安だったインストの難しさに見事に激突。ナントカならないのか、NEC。で、失敗しまくってたら

なんか知らんけどデキた


試しにいろんな階で試してみる。4F寝室はショボい(気分次第で断線)ながらも基本的に(ノートが)いる場所である1Fは十分なねっとブラウズがデキた。5Mぐらいだ、無線なのにJCOMより速い。さて3F絶叫オフィス。無線LANBOXを言われるがママにセッティング
※女性の声でCDがしゃべる
するも全くつながらない。 どんどん時間が過ぎてイキ平行して部屋の穴にワイヤーを突っ込む。穴は2つあっていろいろ試してるとカタと音がした。何通りかやって都度見に行ってもその先はなかったのでダメモトで2F応接間へ降りた

ら光ケーブルと同じ穴からワイヤーの先に巻かれた赤いテープ

が出てルのを見て絶叫デス。超速でLANケーブルとトモに再度降ろしアクセスポイントと接続した。にしても

らくらくウィザードよりも楽だった ※女性の声でカンタン設定

配管工事。我が家のコトがヨクわかったしバンバンザイだ。速度は18M程度かこんなもんか、いや

ダイヤルアプと雲泥の差ダ ※PCも強力なんでほぼ全てが瞬時

私が最も注意すべき点は、どうせ速度もスグ慣れるやろしこれが普通と思ってドンドン画像をデカくしてしまわないかというコト。あっと無線LANBOXがあまったな、1万ペソの損害だ(爆)。まあオンラインゲームプレステ2をいつかするというコトにしておこう。

しないと思うが ※DVDHDレコに接続という手もある ← しない

この1ヶ月半お世話になったノートPCとダイヤルアプに感謝したい。
私のタメの工事
2004/01/16金  ドレを買えばいいんだ

明日にせまった光ファイバ工事。決断してからずっと無線LANにツイて調べててなんとなくノリがワカりつつもどのメーカーがいいのか決断デキてなかったので朝からネイキッドとトモにネトカフェやらPC店複数に昼飯で一旦帰宅をハサみツツ夕方マデ順繰りに突撃してメルコとNECのどっちかで未だ決断デキないコトよりも

思わず読んだカイジの新シリーズの続きが
 ※2度来店し9巻も読んでシマッタ

気になりマス。そうそう、グ○バス最後の入金を確認した後そのノリで楽器屋いったら市内ではホボそこの店しかないコトが判明しイキオイでネラってるアンプシュミレタ(なんとVOX製)買いそうになったけど

スエット姿だったんで
 ※私が

ロッカーとして出直すコトにしたデス。
2004/01/15木  肉体改造?

ココ数年顔のシミがヒドいのでお母ン(M○X FACTOR化粧品屋店長)に相談する。SK2を期待したのに

「男性にはコレがいい」ワンランク下のイリューム ※松島奈々子のやからエエか逆に

を渡しやがる。洗顔料と化粧水。あぁ、「SMAP事件」の時のよな肌に戻れるか。

ツイでに体型も 
※10Kg 相変わらず忙しい私。
2004/01/14水  アルバイトブルース#06 ショットバーガネーシャ 3/5「SMAP事件」

先輩達がこぞって退店しO崎さんとN西師匠、そして後輩のK村という体制の中、何人か下が入れ替わった後K祥という奴が入店してきマスた。やたら人あたりがよく、アイドル系のルックスで

私と名コンビ

となり、仲良く「あの娘のハートにダンクシュート」を作詞したりして遊びマスた。んな彼が入店間もない頃、閉店前で私に訴えてきマス。何か二条城近くのコンビニで

毎深夜ギャルが無数タムロってル

とのコト。どうせヤンキーやろ!?と流すと「どう見ても普通のルーギャー」と食い下がる。ソコまで言うのなら

確認しにイカなアカンね

と深夜2:00の閉店を待ち、彼のバイクにまたがって(2ケツ)さっそうと現場到着。したら彼の言う通りの一般ギャルが2軒のコンビニ付近で群レをなしてマス。どうしてイイかワカらずとりあえずうろうろする二人デス。コンビニ内だけでなく駐車場や路上にもイテ
※寝袋らしきモノもあり
総勢30名ホドであるコトがワカった頃、酔っ払ったおっさんがギャルに声をカケたトコロ

「スマップ!!」


と絶叫で返すギャルなんデス。ははぁ、とココで我らは、南座公演のタメ近くのホテルに滞在してる新進アイドルグルプSMAPのおっかけ(From日本全国)なんだなあと確信したワケです。理由はワカるもどうしてイイのかワカらない私にK祥「ココは僕にマカせてくらさい。とりあえず勉強しましょう」と謎の言葉とトモに私をコンビニに引っ張りマス。そしてアイドル雑誌をとり「SMAPのメンバーをオボえてくらさい」とササヤク彼。まだCDデビュー前だったのでホトンド知らない我らは懸命に暗記しマス。キムラタクヤ?ナカイ?モリ?

サスガに顔マデは記憶デキず

も現場に戻りマス。するとK祥が決して目は合わさず「はい、帰ってねー」と小声で言いまわったり、公衆電話から「今32人です」 
※当時携帯ナドない
とブツブツ言ってマス。ははぁ、これは

我らをSMAP関係者と思わせる作戦

なんだなあと気付きマスた。習って私も同じ行動を。「迷惑やからねー」「3人帰って5人増えました」・・ちなみにカケる先は

絶叫オフィスの留守電

デス。ギャル達がサワぎだしマスた。恐怖と好奇が入り混じった感じもこちらのオーラから話カケるコトを許しません。
んな冷たいカケヒキが延々行われてたその時、ドコかで見たコトのある顔がコンビニに入店しようとします。おぉ、あれはガネーシャ上階のスナックのマスターとその店の女のコではないか。腕組んでるゼ。目的をしばし忘れひやかすタメに声をカケます。

我ラ「お疲れサマです!」
店長「おっ、お疲れ。。こんな時間にどしたの!?」 ※鳩豆鉄砲腕をトク
我ラ「いやあちょっとバイトで」 ※ギャルに聞こえる程度にVoアプ
店長「??まあがんばってヨ」

こりゃいいネタ仕入れたゼ、と勝ち誇る我ラに対しややアオい顔でにコンビニに逃げ入る店長と女に次の瞬間


ギャル10名前後がカップルめがけて猛ダッシュ


※アノ時の店長の顔は未だ忘れられズ
翌日聞いた話では
ギャル「あの2人は何者!?」
店長「下の店の子。エエ子やで..」
←別の悪さをしてると勘違いし我ラをフォロー


ゲームも佳境と見切りサラに一芝居打ちマス。 「あぁ〜終わった終わった。(ギャルに初めて目を合わせ)自分らも早よ帰ってや」 と言って立ち去ろうとするとホッとした表情でギャルがこぞって話しカケてきマスた。もう完全に我らが関係者と思い込んでマス。待ってましたとばかり

我ら「実は俺らジャニーズJrやねん


ギャル全員「やっぱり!!」とキマしたヨ。そして我らがタタミかけるよーに戯言を並べます。


我ラ「事務所の命令で君ら(ギャル)を監視してた。ちなみにギャラは2,000ペソ」
ギャル全員「大変やねえ。応援する!」
我ラ「基本ギャラ安いから木屋町のショット・バーでバイトしてんねん。。」
ギャル全員「いく・いく・イクぅ〜!!」

我ラ「キムラはホモ」
我ラ「ナカイは現役のヤンキー」
我ラ「モリは暴走族あがりのバイク狂」
ギャルA「なんか聞いたコトある」 
※案外リアルかも

我ラ「今準備中の関西ジャニーズやねん」 
※KinkiKidsデビュー前のはったり 当時、んなもんはなかったハズ
た「俺はバンド部やし男闘呼組の後にデビューする」 
※TOKIOデビュー前のはったり 私がメンバーからモレたと思ってるのかな
た「ちなみによっちゃんにギター習ってル」 
※正直習いたい
た「バンド名はシャウターズや」


ギャル複数名「TVで見たコトある気がするけど..」

我ラ「見た?今は下積みやしバックの仕事ばっかりや」

我ラ「この前、少年忍者の後ろで踊ってんか」

ギャルB「私見た!」


ウソだろ


我ら「そろそろレッスンやしイカなあかんわ」
ギャル「がんばってね、絶対応援するし。」
ギャルC「これ(キスミント)あげる!」
私がそのキスミントにチュー


ギャル複数名「キャー!!!」


すっかりのぼった太陽の下、イキと同じくK祥のバイクにまたがって(2ケツ)全員に手を振られながらさっそうと立ち去り絶叫オフィスマデ。したら留守電に延々と人数をカウントするメッセージが残ってマスた。 翌日出勤するとガネーシャの前に我らにクラガエしたギャルが手作りのパンを持って入り待ちしてて嬉しいていうか怖かったデス。
※その日からしばらくガネーシャを席巻シタ
※後日ギャルのうち一人を某有名私立大で発見し日本の将来を危惧


K祥は思いもカケず早期に退店しラストデーに彼の巨大なバイクと私が助手席で震えるM田のシビック 
※即ヤンキー仕様に改造(中央に白いライン)
で堀川通りを200kmで爆走したコトはしばらく夢に出てクルほどでした。タマに電話がカカってきて

「◆たんこ◆さん、女子高前に弾き語りイキましょう!」

ナンテ懲りない前向きな誘いもありマスた。楽しいヤツでした。てかいっときゃ良かったゼ(笑)


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2004/01/13火  ラーメンながた閉店

何もない方南通りでヒトキワ異彩をハナつ名店が私を追うよに永福町を去るという情報が入りマスた。ニラなのかネギなのか最後マデわからなかった青い物体、男気アフれる太ちじれ麺、甘くやたら味のあるメンマ、野蛮な厚切りチャーシュー、鳥がらかとんこつか魚介系かすらワカらない謎のツブが多数沈殿したスープ、

メインをクイかねないほっこりした餃子

ドクロのよな風貌でやたら話しカケてくるもほとんど内容がワカらないカリスマ店主、何故か土曜日が定休日というワケのワカらない経営方針、無意味な激イキオイ氷水製造機、基本貸切状態なカウンターのみの店内。全てトータルでながたでした。泥酔後のドッグベリーの帰り道で飛び込んで以来の最後の砦は六本木無邪気、高円寺トウコウラーメンに続き私のお気に入りは全て閉店するというジンクスを守ったのデス。ニューカマーである巣鴨戦国自慢ラーメンは人気店なんで大丈夫でしょうが野方環七沿いとんこつラーメン鶴やがスゴく心配デス
あぁ東京にいった時さりげなく立ち寄ろうかと思ってたのになあ。合掌。

追 明日はthe JUMPSの解散ライブ。うどんの国から成功を祈りマス。
2004/01/12月  うどんの国へようーこそVol1.シゲちゃん&二代目etc

続々名乗りをアゲる面々のナカ、彼らが真っ先に海を越えてキタ。インターの離陸地で迷い(大半が私の所為 檀紙ITが正解)絶叫オフィスに到着したのは京都を出てから7時間後というゆったりとした旅であった。小倉高級ビルを見てもらった後、観光名所である屋島へ。うどんを食べて瓦投げナドをし、繁華街へ繰り出した後、トドメの魚介系居酒屋で爆食し帰路へ着かはった。詳しくは二代目のHPでおびただしいJPGとトモに公開されるであろう。てか、久々

同年代の人々と接するコトがデキた

感じデス。まだディープなうどん屋は発掘デキてないけど続々用意するんで皆サマーどんどん来てくらさいネ。
2004/01/11日  アルバイトブルース#06 ショットバーガネーシャ 2/5「ロック活動との両立」

下積み時代の私の場所(厨房)の右横で酒を作ってるのが怖そうだった店長のO崎さんでした。見かけとは正反対に威圧感も全くなくカクテルのコトとか気軽に聞けてどんどん目的が達成されてく中ヒマな店なんで1日中話してたら

彼は元ロッカーであった

がワカりマスた。大阪の某有名ハードロックバンドのギタリストだったのデス。他の先輩はあまり知らなかったらしく普段バカにされてる店長にもにわかに脚光が当たり始め、ロックのCD買うのがはやったりとかしてそれまでロックをバカにしてたN島さんがレッドツェッペリン揃えたりとか

もう楽しくて

週6日勤務で17:30〜26:00マデのフリータイムでした。ヒマな店なんで皆雑談したり漫画読んだり、将棋(ブームになった)して見廻りの経営者に見つかり激ヅメされたり、賭UNOやったり、ずっと電話したり、Drマシン買って一日中プログラミングしたり、自発的に路上で客引きしたり、とにかくいろんなコトがハヤりマスた。パソコン買うコトもはやり大枚ハタいてMS-DOS機(ホコりかぶって5年後ぐらいにえ〜ちゃんに売却)やMAC(1年間ホコりかぶった後活躍)を買ったり、タマに酒の勉強したりとか。んな優雅な光景を店のジン(タンカレー)テイスティングと称して常飲しながら微笑んでたO崎さん(バッグの中にはバーネット←安物のジン)にある日持ち込んだギターを弾いてもらうと

震えが止まる

ミラクルなカッティングでした。何気に私のギタースタイルは彼に学んだモノが多いのデス。いやいやながら外人のお客の前でハープルヘイズを弾き喝采を受けた後にバドワイザーはあるか?と英語で聞かれ

「ナ〜イ」 ※真顔

と答える生粋のジャパニーズロッカーは、後輩も続々入店し厨房を卒業した私がライブ活動を始めると親身になって助言してクレますた。ライブの日は当然のよに休みをとって挑み、先輩後輩が遅出をしてマデ見に来てクレますた。系列店のカラオケパブ「ブローニュの森」で働くDrキタくんとB白井に話しを持ちかけ、メンボで知り合いガネーシャのカウンターで大スクリーンでライブ映像を見せた後ウクレレを弾くコトで一発オーディション合格した快人と4人で第3期シャウターズはマサに木屋町バンドといった感じで

酒をサービスする代わりに購入したチケットを持った常連客で

毎回大盛況でした。次第にシャウターズ中心の生活になった私は日々作詞や営業活動(電話→携帯のない時代なんでアドレス帳は常備)したりDMの宛名書きを数百枚したり(サスガに後輩には命じない)震えながらRAGにTAPE持っていったりと有意義な夜だったのデス。途中から一番仲の良かったN西さんが詩の朗読を担当し最初は店で録音したTAPEを流すだけなのが最終的には休みをとってマデ生出演をしてシャウターズにはなくてはならない存在となってイキますた。
※アルバムにも参加してクレてる中西師匠
今考えるとあのナンセンスギャグはスゴいレベルだったと確信してマス。んな感じで店をあげて応援してクレてたライブはSEの冒頭に店のチャイムの音が必ず入ってマスた。 ※「2003秋味」の冒頭にも収録
あっと「のんびり屋のケン太くん」は後輩のK村を見ながら30分で書き上げ数ヵ月後ラジオでその詩が大絶賛され、数年後にBSヤングバトル京都代表になるきっかけを与えてクレますた。するどい仕事だったと認識してマス。 他にもカウンター内でツマミ食いしながら作詞をし更衣室に常備してあるウクレレでメロディをツケた曲がどんどん世に出てイキますた。
当時O崎さん以外(私も含め)酒を飲む人が誰もいなかったのですが今なら私もアル中になってたでしょう(怖)。そして、後に体を壊し退店したO崎さんは不動産屋に転身し黄色も消え私のムカデハウスや他の京都ロッカーのスミカを世話しまくったのデス。
彼の教えもあって私はいっぱしのバーマンとなりシェーカーを振りながらシャウターズのコトを考える日々でした。


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2004/01/10土  明けましてK電気

といっても昨日の話。4F寝室にせっかく巨大TVを設置したのにスカパー2が見れないのでキテもらった。

(1)アンテナから直にツナぐと映る
(2)アンテナの次(4F寝室の押入れに発見)から直も映る
(3)その次(押入れの中の分配器後)でダ〜メ


ちなみに4Fベランダに設置してあるアンテナは以前述べたが隣人宅にも伸びている。この高級ビルを建設したとたんにTVが映らなくなったとのクレームの打開策とお父ンから聞いてる。要するにアンテナからマズ隣人宅とたんこ宅に2分配され押入れの中でサラに6分配されていて各部屋にたどりツクというワケだす。 
※いかんせん資料がないのでワカらないが部屋によってはサラに分配もありうる
というコトは各々2×6=12分の1の電波しかデテいないコトになり電波がモトモト弱いCS2はそのセイで受信デキないのでは?との見解が出た。そして実験的に押入れの6分配前にサラに2分配しそのうちひとつを4F寝室イキのケーブルとしたら映ったデス。とりあえずそれ以降の配線をいじらず済み ※大工事となる
ハッピーな反面、 サラに×2で24分の1となった他の部屋の未来はどうなのか ※普通のBSは見れてイル 
と不安になりつつも一番デカい数字として

2分の1で全部受信デキてる隣人


は我が家が支払ってルスカパー2マデずっと見れてた始末デス。 ※あくまでチューナーがある場合
ちなみにぺーぱーびゅーでPRIDEとか、我が家がお金払った番組

も見れマス 
※あくまでチューナーがある場合

まあ見ないと思うが。

追 昨日の話やけど、「白い巨塔」スゴいね。
2004/01/09金  アルバイトブルース#06 ショットバーガネーシャ 780→930ペソ 1/5「上下関係」

いくつか落ちて前述の募集雑誌にひっそりと掲載されていた木屋町の

ガネーシャ

という店に採用されマスた。面接時のヒゲ生やした小さな人(経営者と後に発覚)の人柄は良さそうでしたが初出勤(1991/06/04)時に表れた長髪及びヒゲの店長は怖そうでしたが後に

全てが逆である

コトが徐々にワカってイクのデス。店はホテルのバー形式で

01酒作り(カウンター)
02レジ
03ホール
04調理兼洗い場


と役割がワカれているのデスが新人は当然04から順番にやってクみたいで世の中んな甘くねぇと感じマスた。ちなみに全店員は入店の古い順に

A−O崎さん(社員)
B−T飼さん(バイト)
C−N島さん(社員)
D−Y田さん(バイト)
E−N西さん(バイト)
 ※DとEは同日入店
F−◆たんこ◆(バイト

上下関係はバイトであろうがどんだけ年が離れていようが

入店順

というまさしく板前の世界でした。要するに上は下に何でも指示するし下は上に完全服従敬語。高山が年下の(UWFの)先輩の田村や垣原に"さん"付けなのと同じで、数回おっさんが入店しマスたが皆呼び捨てでそいつは洗い物をしながら"さん"付けでした。とにかく、その日の出勤したメンバーの上から01〜とワリふられるというコトは私が入店するまで1年以上DとEが洗い場だったのデス。 年齢はAのみヒトまわり上でナントB〜Eマデは同年齢の私の1コ上で、DとEは入店日が同じやし
※1日でも違ってたら歴史は変わってタ
んでヤヤこしいコトにBとDが大学の同級生(BがDを紹介して入店)で敬語のパターンは
A←全員
B←C,E
C←E
B=D(タメ口)
D=E(タメ口)
全員←F


というコト。ちなみにココまで書くとトンデモない状況んトコに入ったと思うでしょうが、

ものスゴくヒマな店

でスルこともなくただただ時間ツブしのネタを考える日々だったのデス。A〜E全員優しくしてクレ洗い場ながらカクテル作りもどんどんオボえてイケますた。板前の世界といえどいともたやすく教えてクレますた。私が皆の1コ下という弟分的なスタンスもちょうど良かったのかもしれません。複雑な先輩どうしの関係も私にはあまり関係ないコトでした。
洗い物・フード作り主体の下働きの仕事の中でまかない作りは何気に楽しかったデス。一人200ペソ分の食材の購入を許され
※野菜等店にあるものは使ってもヨイ
その枠内で工夫して業務用の火力激強コンロや巨大な鉄板やフライヤーで作るのですがヨク誉められペーペー卒業しても作ってマスた。ちなみに得意だったのは鶏肉にネギをはさんでフライにするカモネギフライ(鴨じゃないケド)でE−N西さんはカツ丼が絶品でした。カレーもよく作って後輩のK村とO部の二人に

フルーツ盛用の特大の皿で

大食い対決をさせたのは楽しかったデス。定番メニューとして通称エースという豚肉とタマネギを炒めたダケのモノが一番ウマかったっス。後、鳥もも肉をゆでてネギと一緒にポン酢で食する蒸し鳥とか。カレー、おでん、ハヤシライス....

半年ぐらいして大学卒業その他でA−O埼店長とE−N西さん以外退店しK村を始め後輩が次々入店してキテ私の下積はサラリと終わったのデス。


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2004/01/08木  白アリとの戦い

今日は工場の整理をする。まあ工場といっても木造築私の年齢より上の平屋だ。昔はばあさんの家でもあったし今の高級ビルを建てる間の仮住居でもあったりした。当時の作業場が駐車スペースに、お店が倉庫に、そして食堂と風呂場とリビングをブチ抜いたのが今の作業場となりかなり広くなった。サラに奥の2部屋を見ると左部屋には商品が平置きされていて 
※そんな(商品は)デカくないしヒザから上が死にスペース
右部屋は得体の知れないモノの集まりの倉庫と化しており、狭苦しい東京ライフで培ったノウハウでもって効率よい格納スペースにしようと高級ビルに置きキレないレベッカにもらったラックとかをとりあえず放り込んでオイたのでそれを右部屋に整然と配置してみる。床には変色したダンボール多数やお母ンのウン十年前の雑誌やらが散乱してるが全てねずみにかじられたかのようにやぶれてて記念のモノを置いたのであろうお母ンを哀れみながら 
※私は絶対置かないと誓
お父ンに聞くとそれは白アリだという。半分くらい食いちぎられてるダンボールもあり末恐ろしい。ダンボールだけならともかく柱もいろいろヤラれててあるトコロなんて下に新しい木を差し込んでル

大丈夫なんだろーかコノ工場

お父ン曰くあと15年ぐらいで崩れるだろうと言っててマジ怖いゼ。工場付近の住宅も全て白アリにヤラれててそういう土地なんだとか。高級ビルを今の土地にした理由がワカった。まあ鉄筋コンクリートやからあんまし関係ないケド、わっはっはー
そういや永福町絶叫オフィスも一度白アリ駆除にキタがそん時は目に見えなかったので実感はなかったけど 
※となりのレベッカ部屋がヒドかったらしい
きっと床下はこんな風だったのだろーか、ブルブルッ。あと、白アリ以外にも雨漏りが数箇所あるらしくコレマタスリリングな一方社長は

「今度脚立買ってキテ瓦直してクレイ」 ※お父ンにとってのポイントは屋根の上に上がるコトよりも脚立がないというコト

と無理な指示を出される。私なんかより今度来るシゲちゃんに直してもらおーかな。 ※プロ
そうこうしてる間に商品は右奥部屋の壁一列のラック類に全部おさまりまるまる一部屋と四分の三空いた。とにかく当分はこの白アリハウスと付き合わなけレバーならない。持ち前のプラス思考でもってナントカ白アリを撃退し

REC部屋を作りたい


デス。
2004/01/07水  アルバイトブルース#01〜05 黎明期

初めてアルバイトをしたのは大学入学で京都入りしてからだった。十分な仕送りをもらいながらもCD買いたさから手当たり次第に始め10年以上。次第に目的が生活のタメという風に変わりながらも東京を去るマデの仕事は全て

アルバイトと思ってマスた

以後現在に至るマデの経歴を

7日間に渡って

述べたい。 ※何もナケれば連日となりマス
大学デビューシリーズでもフレたが最初のバイトは

01-近所の寿司屋 700ペソ

近所に住むサークルの先輩やクラスメートのS野も一緒だったので入門編としては良かったのかな。ただ皿を洗うばかり。閉店後皆でマカナイを食べるのだが寿司を食わせてもらった記憶はない。でもすき焼きとかあったなあ。安くてウマいと評判の人気店だったしイツカこっそりイッてみたい。

02-1号線の王将 750ペソ

1990/06/20より水金日の週3、ボロボロのジーンズをはいてチャリンコで通った。バンド未経験な私にとってそれがロッカーたる主張だったのだ。おかげで無理矢理スラックスに着替えさせられたりホールに出させてもらえなかったりした。んで洗い場(2週間ぐらいでスピード卒業)の次はいきなり麺茹場で

素人丸出のノビノビ麺

にトッピングのもやしはツキささるぐらい半生なのをを国道沿の大繁盛店で出しまくりだった。店員はほぼ全員ヤンキー
※おっさんかと思ってたら皆年下と後に判明
で中古のセドリックに乗せてもらいいろいろ遊びにいった。ココも閉店後マカナイだったけどおしげもなく食材を使いかなり豪華で私も中華鍋ふって作ったりしてたなあ。あまった餃子はオフィシャルに、他の食材は非公式に持ち帰りエンゲル係数はかなり低く全額CDにマワし月30枚とか買ってた。ノートに型番とか日付とかメモってアナログデータベースにしてマスた。  
※後にDOS/V機のCARD3+(DBアプリ)にて管理しようとするもデータ(枚数)の多さで挫折

03-おたべの工場 1,000ペソ

時給高かったが朝の4:30〜かつ3時間というもので、たしか風呂ぐらいあるアンコまぜ機械にソルビトールという水飴みたいなんを大量注入する肉体労働だったと思う。水飴は激アマで

絶対あのお菓子は太るヨ

体育大学のヒトがいて3kmの道のりを全速力で走って出勤しシャワーを浴びてたコトのみ印象的。

04-KENTO'S祇園店 700ペソ

どうせなら音楽関係のバイトがしたくて。ただし祇園やしどう考えても飲み屋っぽいコトからビビリまくりの面接だった。専属バンド、所謂ハコバンがオールディーズを演奏しおっさんおばはんの客が酒飲みながらツイストで昔を思い出し踊りまくるという店で、有名店(全国チェーン)だけにものスゴくはやってた。ライブハウスというよりは祇園の店といった感じの徹底したマニュアル主義で客としてイクならイイけど

働く方は大変

で満員の店内をすり抜けるようにフードを運んでタ。かつ先述の工場も途中まで平行しててコッチは18:30〜3:00でチャリで急いで帰宅し風呂入ってダッシュしててちっとも楽しくなかった。店員はほぼ全員学生だったけどアマリとけ込めずホトンドいい思い出はないけどカクテルもどきを作るのがあってチト興味ワイた。ちなみにコノ頃は全く大学にいってなかった。

05-祇園のスナック 1,000ペソ


ナントカしてカクテルを作る仕事なバーでバイトしたくそういう夜の水商売専門募集雑誌(大半がフロアレディー関係)を見て面接にいったら募集を出してるにもカカわらずスナックの方にマワされた。 ※アリガチ
スナックの男店員ってチーフと言います。 ※「チーフ、チャーム(ツマミ)お願いします」
そんなにシンドくなかったけど姉ちゃんはブスだったし何より

ちっともおもしろくなかった

のでフェードアウト。マスターはこの世界の実力者でマズマズはやってたけど一度ヒマな時に店内カラオケでサザンの「真夏の果実」を歌って姉ちゃん(ブス)にエラく誉められ

やっぱ歌ウタいになろう

と何気に思った。退店後募集してたバーの方にS野とイキただ酒飲みしてやった。そっちは良さそうな店だった。そして気が付けば大学も全くいっておらずなんとしてでもバーでカクテル習得を目指すタメ先述の雑誌を購読しおばはんと笑顔で踊ってるホストクラブエレベーターを開けたら壁一面気色悪い写真のニューハーフクラブの面接にビビリながらも運命的な店にタドり着くのである。


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2004/01/06火  仕事開始

本日朝より私が一生ヤルであろう仕事がスタートした。小倉高級ビルより徒歩2分程度にある工場へ専用エプロンをして入場。かなり企業秘密な部分があるのでほぼ割愛させて頂くが相手が社長(お父ン)と工場長(兄)なんで気が楽でありこういうのは初めてだ。いままでたくさんの仕事をしてキタがどれも共通して言えるのは初日の緊張感。特に最後の派遣ナンテのはそれが数ヶ月ゴトにオトヅレて大変だった。具体的に言うと、必ず質問事項が生じるモンだがただでさえ話しカケるコトに対し勇気を出してるのに、同じコトを2度続けるとイヤミ言われたりする職場なんて普通で、1度目の質問でも「それはさっき言ったよーに・・・」ナドと勘違いして優位に立つ輩もアリガチであった。だが、どうだ。社長はそんな職人風などふかさず何度でも同じ答えを与え、サスガ

晩酌時に同じコトを何度でも言うお人だなあ ※毎日同じエピソードをさも初めてのよに述べる反復人

と思ふ。まあ今まではそんな状況のナカ仕事をオボえ次第に同僚と打ち解けてく過程が楽しかったのだがそれは一生味わえないのかもしれない。とにかく繰り返してきっちり仕事をオボえ商品を日本全国、いや

京都、東京中心に

営業をカケ売りまくってREC設備を豪華にするぞとイキごんでたら12時になりお昼に。ものスゴく中途半端な作業進捗のナカ社長は

「じゃあ続きは明日にしよう」 
※午後からの囲碁に頭がイパイ(日課)

正月明けだけぢゃなく年中午前中な家業デス。
2004/01/05月  みゆるさんおめれとうございマス

続々と年賀状の返事を頂きしかもほぼ全員住所をちゃんと

〜小倉高級ビル3F 絶叫オフィス

と書いて頂けてるので、何も知らないお母ンは配達の郵便局員さんに

「なんか新しい商売でもしよんな?」 ※方言がマジってマス

と言われ不審感を増しイイ感じデスさんくす。家族は私が音楽活動をやってるコトは全く知らず、そもそも京都時代それがバレたのは

知り合いのおばちゃんがBSヤングバトルをタマタマ見たから


という経歴があり、上京の理由として

「カタギになってコンプーターの会社に就職をする」 ※結果的に後半そうなったコトが悔しい

と言って感激され祝いに買ってクレたスーツはG社時代3回ぐらいしか着なかった感じで

「絶叫オフィスとはいったい!?」 「 ”またライブに来て下さい” ..って!!??」

と思いながら私の部屋のCDを眺めてるのであろう。ていうか

まだまだアンケート投票を募りマス

お願い。

追 え〜ちゃん、RECの遅延報告お疲れサマー
2004/01/04日  書庫整理

エンドレスな整理作業も佳境に入って、もないけど4F寝室横のクロゼットにピタリと収まる組み立て式カラボクス(1個780ペソ×3)を巨大日曜大工の店で買ってキテそこにクッキングパパ全巻とレモンハート全巻を移動して前面に配置し後部には繰り返し読みはしないであろうカイジとか小説類を押し込め、3F絶叫オフィスに昔からある細長い本棚2機に

ジャンルごとに


格納する楽しい作業ダ。各々4列あり計8の空間はこの十数年常にフルハウスで中身をしばしば絶叫オフィス(当時京都又は東京)とトレードしていたのだ。マズは、量で他を圧倒する柳沢きみおをL1・2R1に、藤子不二雄F&A水木しげるの狂気コンビをR2に、新参者の酒のほそ道をL3に、単発物が多いどおくまんをL4に、永遠の名作2発(「キャプテン」「プレイボール」)と貴重な短編集で形成されるちばあきおをR4に、そしてデスクから最もとりやすいR3には当然

いましろたかし

を配置する芸術的な出来栄えで一日中読んでそうデス。

柳沢きみお
柳沢きみお
柳沢きみお
藤子不二雄F&A
水木しげる
酒のほそ道
いましろたかし
どおくまん
ちばあきお
2004/01/03土  帳簿をマカされる

というコトで社長のウン十年間ツチかった

(1)ひきだし一杯の領収書を1枚ずつ取る
(2)振替伝票1枚に転記
(3)日付順に並べ替える
(4)振替伝票から帳簿に転記


というヤリ方を教わった。久々にボールペンなんぞを持ち現金を

原金

と十数枚書き間違えるホドのPC依存症な私は漢字をオボエ直すコトよりも(2)〜(4)を一括デキる専用アプリでも作ろうかな、そういやクソGジマ社時代に経理システーム開発案件をカジったけどテキトーだったので経理自体に対する理解を深めず後悔だなあと2秒思った後に

きっとそういうのが発売されてるハズだ


確信し光ファイハヴァ開通以降に調査するコトを自ら宣言した。
快調に飛ばす私だがタイムリミットの12時で昼食をハサみ社長は日課の囲碁へと旅立っていった。私は日課となりつつある漫画熟読である。

【本日のマンガ】
ちばあきお「プレイボール」
2004/01/02金  CDが続々

マダ部屋の整理をやってマス。したら懐かしいCDやら色々出てキテ手を止めます。自分の演奏するモノしか聴かなくなって久しいがそれ(バンド活動開始)マデはかなりのCDコレクターでしてシングル1枚でも買うと

そのバンドの全CDを揃えて左から発表順に並べないと気が済まない

点もキチンとクリアしてマスた。で、上京時に引越し資金のタメほとんど売ったハズだが奥から出てクル出てクル。そっか、自分にとって重要なのは売らずに残してたんだなあと思って見ると

斎藤由貴 
※ポスター等もスゴい数

昔ファンでしたがこの先の人生で一度でも聴くのだろーか。でも聴けるのもけっこうあったヨ。色々参考にしよう。

【本日のCD】
ZZ TOP「アフターバーナー」
上田正樹とサウストゥサウス「シンパイスンナ、アンシンスンナ」
2004/01/01木  明けましてオメレとう

年賀状は届きマスた?今回は史上初な

CD年賀状

というコトで「さらば青春」等を抽選で送らせてイタダキますた。実はけっこうな数出したのデスが

イカにして郵送料を抑えるか


というコトを帰郷してから日々考え、快人に助言をもらい、郵便局のHPで重量・大きさをチェックして実験した結果メディアをペラペラのソフトケースに入れプチプチをその中にネジ込むという革新的な方法に落ち着いたワケです。一挙に複製して近所の郵便局に持ち込んだら局員が裏でウケてたシロモノです。定型郵便だと80ペソで送れるのデスが12cm以内という規定がありCDが直径12cmなんでケース分無理でした。

ムキダシで送るコトも考えた

けどね。郵送方法はイイとして中身をぜひ聴いてくらさい。「ワイは届いてないぜよ」という方はメールでも出してみてくらさう。まあ相変わらず買った人にココロの中で侘びツツもMP3も本日より全曲公開してるので、白井が100回以上聴いたという名作な一方サビシイアンケートをドンドン投票してくらさい

あっと今年もがんばりマス。目標は

友達を作るコト


ヨロシク。