2001/03/31土
3月は仕事もいそがしく、ドッグベリーも何回もいったし、Recも復活の兆しありだし良かったぜ。
「LOVE LOVE愛してる」がなんと最終回。もったいないですね。ていうかでたかった(笑)。実はこの番組が始まるちょっと前、関西ローカルで東原力也さんが仕切りのかなり同じような番組があったのだが、どう考えてもこっちの方が豪華だった。わきに懐かしいミュージシャンが見えるのが良かったのにね。合掌。
追伸 プロ野球ニュースも終わりっすか。
2001/03/30金
プロ野球開幕ですね。でも今日も残業だったので見れない。しかし便利なインターネット、速報をチラり見るわけ。なんか更新する度に巨人に点が入ってく。最後の方は先発の上原じゃなく、聞いたこともないようなんが投げてるし(笑)。結局17-3の大勝。なんとわかりやすいチームだ。だって
1仁志 2二岡 3高橋 4松井 5清原 6江藤 7清水 8阿部(ルーキー) 控マルティネス
反則だ。今年はどんだけ勝つんやろね?対して阪神はヤバい。バッターの名前が知らんのばっかだ。野村監督も胃が痛いやろね。まあ私は斎藤中心に今年も見ていきます。故障しろ、他の主力投手(続)
2001/03/29木
プログレの練習。そろそろライブが近づいてきてマジになるころ。練習後は金もないので(初)米蔵宅で飲み会だ。練習のMDを聴きながらいろいろ話したねえ。OFFICE_Y思ったよりも整然としててなかなか機能的。全然やれるじゃないれすか!話し込みの内容も身のある感じでよかった。何よりもバンマス米蔵正式就任記念すべきだぜい!。これからあっと驚くような展開にしていくし、見とけよ。
2001/03/28水
矢沢永吉のトリビュートアルバムでたねえ。HI-LOWS、奥田民生、少年ナイフ、ズボンズ、Sads(爆)等そうそうたる顔ぶれだが、ざっと聴いた感じではGUITAR WOLFの「アイ・ラブ・ユーOK」が最高だ。私も「トラベリンバス」で参加したかった。。。
2001/03/27火
そろそろ宣言しよう。シャウターズの3rdアルバムを6月にリリースします。今までの2つに比べると進行具合はボチボチといったとこだが新曲の上がり具合が極端に遅い。かつプログレにも提供せなあかんしマジ大変だ。でもそろそろ(曲作りの)スピード上げていかんとね。もしプロになったらこんなんじゃ許されないだろうし(笑)。プログレス・サマー作った時はスッとできたんやけど、これはある種スランプなのか!?とにかくせめて月の数ぐらいはこしらえて1年を笑って終わりたいね。あとプログレに関してはこの間ジョンと話してる時に思いついたがちょっと違うのを用意したいね。わりと不器用な私だがもうそれをやってもいいレベルだと思うし。長谷川さんの演奏を聴いた直後にええのが浮かんだが忘れてもーた、くそっ。
2001/03/26月
3日連チャンでドッグベリー(笑)。予想を上回りiMACが不調だ。なんとか消えたメールは復旧できた!(またしてもスキルアップ)けど相変わらずフリーズする。ここまできたら原因として予想されるのは
1.マウスの故障 2.発熱過多 3.ウィルス
ぐらいで当然1と願いたい。まあ島さんにはこの際スクロールマウスの購入をすすめといたぜ(損して得取れ)。前後なかなかおもろいRock系の話しも聞けたしRecがおろそかになったとはいえいい夜でげした(今3時)。
2001/03/25日
久々の夜更かしだったので案の定寝坊。かつ小雨も降ってたので馬券か買いにいかず、結果的にこれが正解(笑)。ハズれの高松宮記念の後はドバイだ。BS-1でレースの模様が放映され一日遅れの興奮を味わう。ドバイワールドカップとは言うなれば競馬のオリンピック。賞金もレベルも爆高で今まで日本馬なんかまったく歯が立たなかった。かつステイゴールドの出たレースなんて世界最強級がズラり。日本でもなかなか勝てないステイが、と誰しも思ったことだろう。しかし怒濤の追い込みで勝利。でキングジョージや凱旋門賞にも招待されるとかものすごい話しになってるらしい。確かにいろんな掲示板とかで話題沸騰だ。武豊自信も「歴史的な瞬間」とか言ってし。ていうか今ステイは7歳、プロ野球選手なら40歳手前か。ものすごい遅咲きの花だ。私も応援はしながらも内心「どうせ無理だろう」なんて気持ちが多分にあった。何が起こるかわからないでげす。とにかくこれで春の天皇賞が楽しみにあった。他にもハデな復活劇を演じたナリタトップロード、地味な勝ちながらもきっちり権利を得たメイショウドトウ、当然主役のテイエムオペラオー、もはや穴にしかなり得ないクラシックコンビのアグネスフライトとエアシャカール、ぶっつけで復活するセイウンスカイ、あとアドマイヤボスやラスカルスズカなんてのもいる。まるで有馬記念(それ以上かも!?)のような顔ぶれで史上最大の盛り上がりをみせそうだ。あ〜いきたいな〜淀競馬場(密かに去年はいったぜ)。
興奮冷めやらぬ中、昨日誘われたドッグベリーでのSTANDIN'ALONEへ。ジョンと米蔵にも声をかけるがそれぞれ”ネタ無し”、”金無し”で辞退。いつもに比べそうそうたる出演者の中、ちゃんとやりましたぜ。当然ステイゴールド(久々)もやったし(笑)。近いうちにMP3アップしんとね。演奏以外は島さんの愛娘あさひちゃんをひざにのせ、観戦に来たジョンとiMAC修復に没頭したがまたダメ。まあこんな感じで休日も終わりましたぜ。
2001/03/24土
島さんからTEL。なんかドッグベリーのiMACが調子悪いとのとこ。持ってる知識をぶつけ難なくクリアすべく乗り込んだが結局ダメだった。。。いやあ〜奥が深いね。難解なりマッキントッシュ。なんだかんだ帰宅したのは深夜5時。メールを見るとステイゴールドのメーリングリストからたくさんきてる。思わず見るとドバイで快勝したらしい!ほんとは明日のBSでドキドキしながら見たかったんやけどね(笑)。なんせ良かった!明日は楽勝で見るぞ。で、その前に行われる高松宮記念。これで儲けて物買うぞ(笑)
◎ダイタクヤマト(もはや別格)○ビハインドザマスク(展開向く)×トロッドスター(あくまで押さえ)
2001/03/23金
や、やばい。TVで「京都系」のROCKの特集やっとった。昔から独自の色をもってて決して”ローカル”ではないと思ってたのだが。まあ”くるり”とかの影響らしいが知ってる奴らが続々TVに出てる(爆)。にしても「京都系」という言葉を密かに武器にしようと思ってたのにもう使えへんやんけ!もうこれで京都にも帰れないねえ。プラス思考として東京でがんばります(パソコンを)。
2001/03/22木
今日はプログレの練習。練習後のミーティングat DOGBERRYはなかなかおもろかった。これからどうなるのか?色をつけていかんとね。4/13ライブか、枝分かれどちらにいきますか?
2001/03/21水
祝・絶叫オフィスHP一周年!
日記を書き始めるまで気づかなかったぜい(笑)。とか言いながらこの2ヶ月ぐらいは意識してていろいろ計画してた。
・TOPのフラッシュを遂に変える(何気に公開初日から全く変わらず)
・TOPのコンテンツボタンをかっちゃりみたくかっこよくする (フラッシュで)
・「機材を自慢」を拡大しフレームでわける(写真も撮り直す)
・「DM画廊」に今までのフライヤー・DMを大挙登場させる
・「歴史」に写真を多数アップ
・「MP3」をもっと表舞台に立たせわかりやすくする
・「エロリアンズ」をちゃんとアップ
・「粗品」に記念アプリを制作-アップ
結局どれ一つとしてできなかったぜ(爆)。まあ大幅なリニューアルとかはする気なかったけどね。なんせこの「日記」がメインなんで(笑)。内容で勝負だ(自爆)。でもそれ以外は(分かってるとは思うが)私自身のデータベースにしたいっす。
最初はYumikkoが公開した頃から”俺も”とあせりはじめ、たしかMIRRAのすすめでDREAM WEAVERで作りはじめ今にいたるわけだが、予想以上のWebの世界のすばらしさを体感できたわけ。ほんまやって良かったと思ってる。サンキュー、絶叫オフィスHP。今後もマイペースで、以前も言ったが盆栽感覚で育てていくでげす。最近内外充実してるしね。今日はRecサボったが変わらず飲む焼酎は絶叫オフィスHPに乾杯。まあ何せこれからも4946!
追伸 まるでお祝いのごとく、ひぐっちもに(プロカメラマン)から5年ぐらい前の写真が届いた。若い、そしてやせてる私(笑)123
2001/03/20火
今日は祝日。昼前に起きてVo録り→ネイキッドのかすった部分のペンキ塗り→プログレでプロフィール用の写真撮り(at和田堀公演)→ちょいミーティング(NoアルコールButうどん)→ケーブルTVの猪木ボンバイエ観戦(7時間・途中風呂に入る)と充実した休日だったぜ。猪木ボンバイエは最高のイベント(ショー)だった。以前、新日の番組で一部分だけは見たが、これだけ全部見ると圧巻だった。だいたい格闘系の人がプロレス、かつタッグ(激ナンセンスな世界)でやるだけでもむちゃくちゃなのに(ここまでは既出のTVで確認済)全試合終了後の(カウントダウン前の)猪木108発の張り手に志願したり、年明け後の観客席への餅まきに参加したりとものすごかった。何より全員すごい笑顔だ。きっと楽しかったんだろう。一番印象に残ったのは、試合の時間の関係かカウントダウン前に時間が空きリングに集まった全選手(及び関係者)の一言ずつ。外人系は全員(右へならえか)”HAPPY NEW YEAR!”と年明け前に言って間抜けだったが(それをいちいち訳す翻訳者)、それ以外の日本人は結構マジに来年の抱負などを語る。しかし選手以外の業界人やカメラマン(さすがにマネージャー系の美女達はえんりょしてた。できれば抱負を語ってもらいたかった)とかまでが自分の抱負を語り、それは趣旨をはずれてるのに放送する番組。餅まきの時に解説者席でスタンディングで盛り上がる赤井英和。サスケごときにフォール負けしたのに満面の笑みで最後の催しまで出続ける宇野。一番歓声が多く何を勘違いしたのか小川の試合後に乱入する橋本(後のスーツ姿が最高)。PRIDEで連勝してるにも関わらず試合に出してもらえず単なる猪木のセコンド(あと小川ともめる橋本の押さえ役)だった藤田。張り手の108発目をかざり抱負の時は直後に控えた新日本の大会に見に来てくれと客に懇願する藤波社長。猪木にコブラツイストを決められ悲壮な顔をするヘンゾ・グレイシー(試合直後猪木に抱きつく姿は単なるファン)。スキンヘッドを初披露し全ての出演者をくった武藤。しばかれないとわかってるから桜庭の時だけ花道に乱入してくる観客。仲間割れをしたちょっと後なのに餅まきにいたるまで参加するドンフライとシャムロック。いくら同じマスクとはいえ桜庭とカシンを間違える実況者。「お前誰や?」と思わずつっこみたくなるおそらくローカル局アナウンサーであろう関西弁のリングアナ(ギラギラ衣装)。唯一といっていいぐらい最後のほうの催しに参加せず、自己主張かなと思ったがひそかに直後のスケジュールがつまってて新幹線に乗ってたであろう小川(売れっ子タレント)。疲れてくるとすぐ間接技で試合を終わらす格闘家たち(最初からしろ)
ときかく見所が多くここまで長文になるとは思わなかったぜ(笑)。これに新日本のTV放送時のお約束の試合後のコメントがあれば完璧だった。※永田は「世界には強いやつが一杯いるよ、でもいつか負かさなきゃいけないんだ!」←単なる負け惜しみ、ていうか一生ムリ
ベストバウトは大仁田。猪木への挑戦状を持って会場の大阪ドームへ乗り込み会場にすら入れてもらえなかったが、存在感をものすごくアピールした。ワーストは佐竹。試合は組まれず、小川の試合後の橋本の乱入の時にいつのまにかいて、小川に「お前にはもう用はない!俺の前に姿を見せるな!!」と言われ、猪木の試合前の花束贈呈役(建前的にはこれだけのために大阪に来たはず)で渡した直後に猪木に張り手をくらい、笑顔で「オス!ありがとうございました」とまるで舎弟のようにふるまい、
※ちなみに同じ花束贈呈役の藤波社長は猪木と抱擁
以後、108発張り手(本日2度目)→抱負→餅まきとなぜか最後いたが、結果として誰も相手にしてなかった(終)
追伸 これらを猪木はきっとお見通しで企画したのだろう。数多くのタレントを見事にあやつった、恐るべし。シャウターズのワンマンショーを思い出したぜ。
2001/03/19月
モーレツにモニタスピーカーが欲しい!
病気と地獄は繰り返す。で昼、いつもの散歩で近くのRec機材屋へ。とりあえず今使ってるDTM用のくそスピーカー(でも当時1万ぐらいした。くそっ)の代わりにでもとCD鑑賞用にずっと使ってるオーディオシステムにつなげるためのケーブルを買いにいった。最初は楽器屋にいったが合うフォーマットのものがなかったのだがさすが専門店。速攻購入しいろいろ物色してるといつもまったく話しかけない店員が。東京のスゴいとこはこの店みたいな専門店がたくさんある。で大半がプロ向けなので秋葉原の家電みたくはほとんど話しかけてこない。まあ私のオーラに負けたのだろう(爆)。で、自分のスタジオの環境やスキルを話し天の声を待つ。ホントはSONYの3万ぐらいのやつを狙ってたのだが、あっさりくつがえされ代わりにYAMAHA(4.5万)のとROLAND(5.5万)のをすすめられた。あとサウンドカードの相談もした。地獄は終わりそうにもない(笑)。帰宅後さっそくケーブルを仕込む。MAC-(デジタル)-ミキサー-(今日買ったケーブル)-オーディオシステムとなるわけで副産物としてミキサー(常に目の前)でボリューム調節が容易だ。かつ鳴らしながらPODで私のギターもミックスできる(爆)。これでMP3が聴きやすくなったぜ(真の目的!?)。
2さて明日は休みだ。HEROの最終回(ビデオ録画済)でも見て寝るか。
2001/03/18日
ナリタトップロード復活!ワタナベ君おめでとう。菊花賞以来1年半の勝利をブッちぎったレコードタイムでつかみとった。これで天皇賞がハデになる。今日の逃げ系の馬(4頭ぐらいいた)が全部出れば今日みたいにハイペースになりステイゴールドも勝算ありだし。関東のスプリングSもアグネスゴールド楽勝でクラシックもますます盛り上がる。今年はほんまおもろい。来週の高松宮記念(G1)は堅そうやししっかり当てて物買うぞ。
興奮冷めやらぬ中歌入れをする。手法はかなり固まってきたがいかんせん歌唱力がなかなか向上しない。何が言いたいかというと、それじゃ採用テイクにたどり着くまで時間(回数)がかかるということ。後で後悔しないレベルまではするしね。でも一日のノルマをほぼをこなせ、ホッとして機材をバラす。したら玄関のベルが。ヤバいと思いながら穴を覗くと上の住人らしき人物。レベッカと比べ寛容だった洗濯の水を下(私の部屋の庭)に落としまくる人もついに堪忍袋の緒が切れたのか!?ちょっと間をおいて覚悟して開けると、別人で単なる宗教の勧誘。ものすごく安心して満面の笑顔で即断り。あ〜良かった(笑)
2001/03/17土
隣人のレベッカが何やら引越の準備。(確定ではないが)どれほどこの日を待ち望んだことだろう(爆)。夜の10時を過ぎればちょっとCDがデカくなったところで即クレーム。歌入れの時は具体的なクレームはまだなかったがいつもビクビクしてたでげす。次入る人はどうかあまり帰宅しない人がいい(笑)できれば深夜水商売とかがええかな。あっ、でも昼間の歌入れがマズいか。なんせ当分思い切って歌うぞ。
雨がふってたんで予定の外出をあっけなく断念。久々料理を作った。メインの豚バラ肉を解凍。ごはんも解凍しその間に材料を切る。ゴミ箱行き直前のキャベツ(既にカット済)、明らかに枯れているネギ(1本の半分ぐらい)、ラップにくるんであった人参、しめじらを用意。贅沢にもエキストラバージンオリーブ油(ていうかこれしかなかった)をひいたところでにんにくがないのに気付く。しかし昨夜のブタめしの爆にんにくがまだ口の中にのこってるのでよしとする。豚バラ肉を炒め火が通ったらネギを入れ香りをつける。ニンジン、しめじを入れ塩コショー、日本酒をふりキャベツを入れ炒めあわせる。そしてお気に入りのトウチジャンとトドメの豆板醤、隠し味に隣にあったうどんのだしを投入。若干の二日酔いで舌の感覚が怪しいがテキトーに決める。そして玉子を割り入れふたをして蒸し焼きに。その間超高速にチンできたメシをどんぶりに盛る(ここが超重要、コゲないうちにね)。半熟になったところでメシの上に盛って完成。名付けて巣ごもり回鍋肉丼。これに、みそ汁代わりのチキンラーメン(1/4)を付けて爆食。うん、うまい。トーチジャンはほんま味が深いね。どうやってもうまくなる。雨が降ってるのとメンどいくささでコンビニいかなくて良かったぜ。
2001/03/16金
職場でまた一人退職。で、お別れ会でもないがあと一人と3人で焼き肉でもということになったが、主役が急用(麻雀)で辞退(笑)。しかたなしにテキトーに声かけたら6人も集まってしまった。肉の会のメンバーでもあるK川ちゃんや別部署(無関係人)など主体性のないメンバーで最近定番となりつつあるげんか屋へ。爆食した後2人は終電で帰ったが残りの4人で話しこむ。気が付くと3時とか余裕でまわってるし。あ〜食った、飲んだ。最初は結構混んでたので扇形のカウンターみたいなところでイマイチと思ったが、気が付くとバーのカウンターかと錯覚するし(笑)。酒も一通り揃ってるしひそかに最強の居酒屋かも。
2001/03/15木
実は今期結構ドラマ見てるわけ。「HERO」「カバチタレ」「ロケットボーイ」で今日は「お前の諭吉が泣いている」の最終回。前も言ったが見続けてるドラマの最終回のあの寂しさ(もう会えなくなる)が好きだ。はちゃめちゃでおもろかったぞす。でも、数年経って「また見たい!」っていうのはなかなかないね。ていうかほとんどおぼえてないし(笑)やっぱ映画にはかなわないのかなあ。
今日はプログレの練習。次のライブにむけ通しリハ。新曲も都合3曲か。そろそろガツンといきたいね。曲間があえてキーポイントかも。米蔵が何かやってクレそう(笑)
2001/03/14水
JUMPS "KILL OR LOVE" 発売記念ワンマンライブat新宿ロフト
仕事をなんとか切り上げぎりぎり間に合った。正直”広くなった”ロフトをジャンプスが埋められるのか?、という不安はあった。まあ僕が心配することじゃないし、かつ最近見に行ってないし。駆け足で入場すると移転したロフトはずいぶん様変わりしてる。演奏するスペース以外が多々で結構イヤな感じ(ロフトってアマチュアの味方じゃ?...)。あれって必要?なんて思いながら入場。でもホールはええ感じ。ん、オーラはある。かつお客も多いぜ。ちょうど前座も終わりメインのジャンプスの開始前だった。それから約1時間のライブ。。。久々ちゃんとしたライブを見た。まああくまで関係者としてだが、今回の意気込み、重ねたリハの時間がイタいほど伝わった。特にオープニングがおもいろい。ROCKな瞬間を体感できたぜ。多分本人ら的にに予想したよりは空回りした部分も多かったのだろうが、何よりバンドがうまくいってるのが事前に島さんから聞いてたし、見ればわかった。本心を言うと以前の京都で対バンした時代の曲の方が好きだったがその事も忘れた。ワンマンライブ、いい響きだ。特別なんだ。全てが違う一日なんだ。難民キャンプがシャウターズを超えられないのはそれをやってないからやねん(笑)あ〜早くシーンにもどりたい。ていうかやっぱHOT SHOTショボいな。何回か行ったけどライブなんて1回もなかった(爆)見る方もやる方も一般人集めてちゃダメよん。
追伸 ロフトでワンマンか、ムズいね。敷居は高く、キャパは少なくしんと。
2001/03/13火
3日坊主にならずまたレコーディング(笑)。でも今日の曲は手こずるぜ。こんなことしてたのか!どうりで「ダンス」の時にボツるわけだ。あの頃に比べるとせっぱ詰まった雰囲気こそ負けるがスキルは上がったのかもね。何よりも今日の教訓はチューニングの必要性だ。やらないと一生後悔するぜ。ROCKはチューニングだ。さて明日はジャンプスのワンマンライブ。久々に生のROCKを見せてもらい気合いを思い出すか。
2001/03/12月
ようやくいそがしさにも慣れ数少ない時間をコントロールできるようになったぞす。まあ調子がいいということで。たとえヒマでも結果が全てということで何が言いたいのかというとレコーディングが復活してるのさ。消去法というか歌入れは日曜の昼(しかも競馬の前後で)2曲というリズムでいくべく平日はもっぱらMIDIとギターになるでしょう。既存の曲が済めば新曲ということで曲自体の作りこみまで加わりどう考えてもキツいがなんとかGWまで乗り切りたい。あと1つわかった事はどんなにオペレーション慣れても時間はかかる、ということ(でないとええもんできませんぜ)。時間をかせぐために日頃からだな。
2001/03/11日
今日はいろいろやった後ドッグベリーへ。米蔵のソロライブなのだ。客はさびしかったが、計3組で米蔵も立派にこなせました。他の2つに負けてなかったよ。ぜひ定期的にやってほしいぞす。今日は極力酒は控えようと思ってたけどムダでした(笑)気が付くと寝てるし。いろいろ話たかったのだが。。。で起こされておひらきだ。で、ジョンとはらぼうと3人で六本木に。何とも不気味なメンバーだがそばうまかったぞす。あ〜あ、明日仕事か、いややね(爆)
2001/03/10土
−大学デビューシリーズ番外偏 ROCK集団との生活− 授業に全くでなくなったブランクのおかげで大学復帰後には仲間の一緒の授業はなくなっていました。ほとんど一つ下の学年の人らばかり。当然彼らは彼らだけでかたまっていたのでどうもとけこむことができません。まさに苦悩の日々だったのです。おもしろくないので欠席がちになります(悪循環)。そんな中ライブハウスで運命的な出会いがありました。O原という高校中退のRockファン(男)でピーズのライブの時に「一人で来はったんですか?」と声をかけられました(笑)。意気投合し次第にツルむようになります。で、同じような仲間も次々と紹介してクレます。中でもHコという奴は私と同い年で誕生日も2日違いとまさに運命的。音楽の話を思い切りできる友達がやっとできうれしくてしかたありませんでした。毎日のように溜まり場であるHコの実家の喫茶店にいったものです。一緒にライブハウスに見にいったり、三条京阪前でストリートライブ(京都では我々が元祖!)をしたり、女子校の文化祭に乗り込んだり(笑)。今にしてみればかなり排他的な雰囲気をもった集団でしたが、センスというか気合いみたいなものは磨かれたと思います。まさしくライバルだったHコといつも「バンドやりたいなあ」なんていつも言ってましたが、両方ともVo&リーダータイプだったために同じバンドという感じではありませんでした。しかしお互い情報交換しながら懸命にメンバーを探しました。基本的にスタジオや楽器屋に募集のビラを貼ったり雑誌に投稿したりで、いろいろ屈辱的な断りもあり落ち込むことも多かったがあきらめなかったのです。ライブ決定直後に双方無事メンバーが見つかった時は感無量でした。私の方はths shoutersと名付けました。 一発目から数回対バンし切磋琢磨しましたが、RAGでの対バンを最後に、他のバンドの友達も増え、次第に彼らとの距離も離れていきました。ただ、彼らにはすごく感謝しています。ギャフンと言わすためにがんばったし。。。今でもたま〜にHコの喫茶店にいったりします。いつもの彼が変わらずいてクレるのです。
2001/03/9金
−大学デビューシリーズVol.5 みんなでライブハウス− 遊びの続きになりますが、ひょんなことからよく仲間大勢でライブハウスにいってました。たまたま深夜TVでS藤あたりが「真心ブラザーズ」を見て気に入ったらしくみんなでいこうとなったのです。私にとって仲間たちに対する唯一の不満は音楽性の違いで、しかたないので一人で発掘し、一人でライブハウスに見にいってました。theピーズ、well's、カステラ、エレファントカシマシ、泉谷しげるあたりは無条件でおもむくという感じ。孤独ながらもなかなか楽しかったのです。でいきなりの(ROCKとは無関係な)仲間たちの参戦。少し不安もありながらも5人ぐらいでいきました。場所は磔磔、いつも一人でいってるライブハウスです。デビューしたてなのに会場は超満員でした。ただし9割がた女子でしたが。自分らが思いっくそ浮いているのを感じながらもライブスタート。ほとんど予習らしきことをしてなかったけど全然関係なく、スッと入れるいいライブでした。おかげで全員感動し以後真心が京都に来る度見に行くようになったのです。冷静に考えれば不気味なおっかけです。男5人前後、ライブハウスはおろかどっかの大学の学際にも来るのですから。一度河合塾で”真心塾”という浪人生向けのイベントがあったのですがそれに私とIズミが潜入したこともありました。整理券が2枚しか手にはいらなかったためにうばいあいになったのをおぼえています(笑)。ちなみに我ら以外に集団でしょちゅう見に来てる集団もありました。ウルフルズです(笑)。あと学際に泉谷しげるが来た時に最前列で見るため講堂の前でみんなで徹夜しました。鍋の道具を持ち込み、宴会をしてて見まわりに注意されたのは今となってはいい思い出です(笑)。ライブは最強でした。最前列の真ん中で絶叫しまくりました。
そんなこんなでライブハウスにいたるまで我らの結びつきは強くなっていきました。で、一人でフォークギターなんか弾くようになってた私に、Iズミがすばらしい話を持ってきてクレたのです。それは弾き語り飛び入り参加です。先輩で塾で講師をしてる人がいてそこのイベント、要するに生徒の前で弾き語るのに参加しないかというもの。喜びいさんで当日にビデオカメラまで購入して参戦しました。当然仲間全員見に来てクレ、記念すべき一夜は大成功です。そのおかげか僕らでバンドをやらないか?という動きまででてきたのです。今まで考えもしなかったグッドアイデア!しかし楽器がデキるのはIズミとK島(唯一ロック系サークルに所属)だけで、かつ両人ギターなのです。しかたがないのでクラスであまりつきあいがない奴らに声をかけます。なんとかDr,Bもいて無事バンドが結成できました。これが伝説のエロリアンズ第1期なのです。最初は泉谷しげるのコピーでスタジオ練習(生まれて初めて!)のみでしたが、これまた大学主催のイベントの話をIズミが持って来てそれに出演。興奮して録画したビデオを何100回と見ました。性格の不一致でB,Drが脱退した後も、私がゲットした外のライブハウス出演の話をきっかけにK島に頼み込みBを弾いてもらい、外部からDrも呼んできて無事ライブハウス初出演もはたしました。絶叫オフィスのはじまりでした(完 →番外編へ
2001/03/8木
−大学デビューシリーズVol.4 それ以外の遊び− 基本的に誰かのとこでダベるというのが我らの遊びでしたが、たまにはアクティブに外出します。やはり一番行きたいのはカラオケですが、O村が危険やし(酒グセ)当時はカラオケパブ主流だったので金の問題もあり極力自粛。ゲーセンは飽きるし(Kモ川は別。彼は一日中どこかしら(ゲーセンor部屋でファミコン)でゲームばかりやってたため留年)で、よくボーリングにいきました。マジで他にやることがなくそればっかやってたのでどんどんスコアがのびていき最終的には全員200近くいくぐらい(爆)。でも合コンの時とかは結構ウケて良かったです。なんせ全員すごいスコアなので(笑)。いつぞやいきつけのボーリング場にカラオケボックスが初導入されO村とうれしがって30曲ずつぐらい歌ったことがあったのですが、冷静に考えるともっと早くカラオケボックスが広まってたら歌がもっとうまくなってたりして(爆死)。
飲み屋は、入学して初期、O村とKモ川と3人でショットバーへいこうという話になり何故か祇園までいってしまい、散々飲んで一人5千円ぐらいとられ「ボッタくりだ!」とショックを受けそれ以来居酒屋以外はいかなくなりましたが、今考えるとどう考えても適正価格(ちょっとマケてクレてるかも)というのが泣けます。
そうそう、部屋があまりにも遠いので私は原チャリを購入しました。なんとそれまでは学校及び仲間の部屋まで14kmの道のりをチャリンコで行き来してたので、動きが格別に軽くなりました(京都は案外電車がない)。 道に迷った先が西部講堂だったときは感動したもんです。一度調子にのりすぎて徹夜明けにO村と昼前の商店街・2ケツ・逆送・(何故かスピードだけは守)でポリに追いかけられ、頭脳作戦とか言って何故か2手に別れ、人込みの中で(走って逃げてた)O村は逮捕、近くのO村の部屋に(原チャリで)逃げ込んだ私もO村の即密告により出頭という、マヌケな出来事もありました。ちなみにO村の密告の内容はかなり詳細で私の名前・年齢・出身・住所・電番・大学(学部とか詳細)に加え私のマンションをアパートと報告した事がひそかにムカつきました(笑)。以後もよくポリに捕まりましたが、こりもせず日常の足でした。レコード屋、楽器屋、スタジオ、とにかく原チャリで京都なら(時折滋賀まで)どこへでもいける、そんな感じだったのです。 →VOL4へ
2001/03/7水
−大学デビューシリーズVol.3 不遇なサークル時代− 大学といったら「サークル」です。授業は出席しないがそれには命かける、というのが普通だと思ってました。で当然バンド系に入ろうと思い、いろいろまわってみて入会はしますがどうもうまくいきません。当時私はバンド経験無しのVo志望で、かつ後のような行動力も経験も実力も持ち歌もなく、結局バンド組めずにフェードアウトしていったのです。あと経験はないがリスナーとしては既にコレクターと化してた私の話についてこれる人があまりいなかったのも原因と考えます。だって先輩の顔見せライブとかもろレベッカのコピーとか、新入生のやりたいのはZIGGYのコピーとかでしたから。今にしてみれば、同級生だった難民キャンプの清っさんとからめたと思うのですが、結局知り合ったのは彼が卒業してからになったのです。しかたないので先述の仲間が入ったサークルにでもということになりましたがそれが何と人形劇サークル。ロック一色に染めようと思ってたキャンパスライフに暗雲が立ち込めること必至でしたが何にも入らないよりはマシということで入会。密かに高校時代演劇部だったのでセリフ読みには自信ありで、実際誉められたりしました(笑)。メンバーはたしかO村、G田、Kモ川だったと思いますが一番熱心だったのがS野(後に部長に就任)でした。活動として練習(学内で発声練習とかするので恥ずかしくてしかたなかった)と公演(ボランティア性が強く近所の幼稚園とかをまわる)時折飲み会という感じ。一番の思い出は岡山遠征。鈍行にのって岡山の幼稚園までいき公演しました。具体的な劇の内容は完全に忘れましたが、近くの民宿かなんかに泊まり宴会したのと翌日後楽園にいったのはおぼえてます。たしか1年程度所属したと記憶してますが辞める理由が「バンドをやりたい(かつ、やるとは決定してない)」という訳のわからないもので、それにも関わらず当時の部長が暖かい言葉とともに送り出してクレました。たしか他の仲間は卒業まで活動したはずです。そういや一つ先輩の人(現役なので密かに同い年)の実家が私のマンションの2軒となりとかでしょちゅうたまっておられました(笑)。かなり大学から遠かったので絶対溜まり場にはならないと思ってたのに!また、彼の紹介でS野に続き私も彼の実家が経営するすし屋でバイトしました。私にとって生まれて初めてのバイトでした(すぐやめたけど←ダルかったから)。そういやその後は餃子の王将でもバイトしました。よくあまった餃子をもらってみんながたまるG田邸まで出前土産したもんです(その都度大ウケ)。ちなみに当時のバイト代は100%CDに変わってました。後もちょこちょこやりましたが次第に水商売の道に入っていったのです。。。
話はそれましたが、とにかくロック系のサークルに入ってないというコンプレックスは常にありました。でも後に、同じくサークルをやめたはやと(彼はレベルの高さについていけず脱会) とシャウターズでブイブイいわし、彼のいたサークルの人間から「はやと、今バリバリらしいな!」と言われた時は気持ち良かったです。 まあ私にとって本当のサークルはRAGでしたけどね。  →VOL4へ
2001/03/6火
−大学デビューシリーズVol.2 合コンは僕らの命− 知り合って意気投合した我らに、さらに拍車をかける出来事がありました。合コンです。きっかけは何と大学の企画でした。「新入生歓迎合コンV.S.京都橘女子大」というのを大学の事務局が斡旋してクレるのです(爆) 。田舎者ばかりで当然京都では(ていうかどこにも)そういうコネなどなかった私たちは心躍らせ出陣です。 初日から伝説を作ります。大体1次会を五人囃子(激安激マズの京都の有名居酒屋)→2次会カラオケパブという、後のパターンとなる一発目でしたが、2次会で爆裂。トシちゃんのO村は当然のこととして長渕系を熱唱するリーダー格のIずみ、様々なモノマネを網羅し「和田アキ子、」とかいって次々とまるでコロッケのように連発するG田、そしてブルーハーツで暴れまくる私、最後は(ひそかに無関係な)他の大学に行ってる私の高校時代からの親友Gロウとの男闘呼組でピアノの上に登り絶叫し、出入り禁止になるぐらいまで盛り上がりました。こうして大成功かに思われた第一回目合コンですが、直後に全員フラれて地獄いきでした(笑)そう、私たちはモテなかったのでげす。しかし懲りずにまるでライフワークであるかのように私たちは合コンを繰り返しました。その度に、前後誰かの部屋で打ち合わせ、今考えるとこれが楽しかったのかも。でもギャグなぐらい誰も成功せず相変わらず男だけの部屋になりました。中でも骨頂はやはりO村。たまたま私の部屋に遊びに来てた時、彼はほぼ一人で酒を飲んでいました。気持ちもデカくなったのか当時意中だったFさんにTELすると言い出したのです。案外おくてなO村だったので僕ら(たしかS藤あたりがいたはず)もさすが!これが俗に言う”酒の力”か、なんて感心してました。当時の2人(O村とFさん)の状況はまさに”いい友達”程度でO村自身も無理してそれを崩したくないと常に言ってました。せっかくやしと私はTAPEウォークマンで録音し始めます。「どうせデートになんかさそえないだろう」ぐらいが我々の予想。しかしそれに反して(スムーズなペースで流れ込む日本酒のおかげか)緊張感もなく話は盛り上がってるかのように聞こえました。しかし、雲行きが怪しくなってきました。電話なので向こうのFさんが何て言ってるか当然聞こえないわけですが、O村がなんかあせり出してます。かつ酔っ払っているのでFさんが発言してるであろう言葉をいちいち連呼し始めます。「何で?俺らがきたないって?何か悪いことした??」「◆たんこ◆がスパイみたいなことしたって?、何でよ!?」明らかにモメてるのがわかったのですが、私的にはしっかり録音し続けることぐらいしかできませんでした。時折「そんな悪いこと俺らしたか?」などと強い口調で応戦するが、即座に「ごめん!」などとあやまり、「やっぱ最初から俺らって悪人に見えた?悪い印象思った?」と疑心暗鬼かつ日本語になってない状態で”俺らの()はとってクレ”と我らに感じさせたO村の最後の言葉は「そんなっ!投げ飛ばすって、、、投げ飛ばしてもいいから〜!!っっっ。。....」(当然涙まじり)でした。直後彼はFさん以外(我らそして彼自身)にむけ「あ〜もうだめや〜」といつものくったくのない顔でセリフを発します。私は一言軽くなぐさめてウォークマンを止めました。それからはいつものパターン。他の奴らも呼び大なぐさめ会です。以上全て私のレッドツェッペリン4のTAPEの上に記録されてます。今にしてみると私にとって初めてのレコーディングでした(処女作)。一度シャウターズのライブのSEでも流しました、ごめんね、O村(笑)
と、こんな感じで青春的な合コンをかさねていき”女性”よりもデカい”友情 ”をゲットしていったのです。 →VOL3へ
2001/03/5月
旧友からメールあり。6年半も連絡をとってなかったらしい。何で絶叫オフィスHPを知ったのか?と尋ねると 「Yahoo!でシャウターズで検索した」とのこと(笑)なんてすばらしきインターネット、そして友達。 以下、そいつから「何で俺らのことを歴史にのせないんだ!」とツメられたので述べます。

−大学デビューシリーズVol.1 すばらしき仲間達との出会い− その頃私は、大学進学のために京都へいき一人暮らしをはじめたのです。一人で大丈夫なのか?友達はできるのか?なんて不安もありましたが、心配無用でした。気が付くと私と同じ田舎者で何故か一浪というとこまで似てるステキな奴らの輪の中にいたのです。 全員田舎者ということは全員一人暮らし、当然誰かしらの部屋に集結し夜な夜な語りあう日々でした。 当時、私だけ大学からエラい離れた所に住んでいたのでげすが即効電化製品を揃えたこともあり しょっちゅう私の部屋で焼肉(といってもグラム100円の豚バラ肉と焼き肉のたれ。しかしなかなかうまかった。)を食いながらのe-ビデオ鑑賞会(今にしてみれば"e-ビジネス"のはしり)をしてました。
(補足:Kも川という、一人でメシ5合食うアホ(肉1枚でごはん茶碗1杯と経済的?)のために炊飯器2度炊きは基本)
日本全国から集まった個性的田舎者の軍団で、中でも私の相棒であるO村は出席番号すなわち最初の顔合わせの席順が前後ろで、機械的な質問事項をかわした数時間後には2人でカラオケ喫茶にいました。彼は今は亡き(?)トシちゃんのモノマネが絶品でどの曲も振り付きでやってクレました。フロなし四畳半の自分の部屋(何故か家賃は3万近くとボッタくり)をかたくなにマンションと言い、長崎出身で即座に酒好きになり、のちに数多くの伝説をうちたて我らを沸かせてクレたのことは後述することを誓います。ほとんどO村ネタになってしまう危険性があるので、メールをクレたS藤についても。私たちの様な中にいて密かに成績は良かったらしく某超有名大企業に就職をし非難を浴びました(笑)。就職とは関係なかった私が双方なぐさめた記憶もあります。とにかく彼らとは基本的に年齢も同じということもあり、気も合い、ものすごいたくさんの時間を過ごしました。授業なんか夕方には全部終わってるし、しょっちゅう○○休みという名目で全休になるしでそれ以外の莫大な時間をほとんど彼らと過ごしました。私は、大学とは授業に出席しなくてもいいところと勘違いしてたために後にイタい目にあうことになりますが、彼らとの生活は数年間続いたのです。ということで今週は今まで明かすことのなかった、そんな彼らとの思い出を述べていきます。 →VOL2へ
2001/03/4日
15時間ぐらい寝たぜ(笑)おかげで腰が痛いがそうも言ってられない。今日は弥生賞、早くも怪物と言われてるアグネスタキオンがでてくるのだ。スター不在の中央競馬、ここは何としてでも突破して欲しい。ただ雨で中山は不良馬場、どうなるのやら。。。って関係なかたっす。余裕で追走し結局5馬身ぶっちぎりの楽勝。久々のスター誕生だ。思えば私が競馬を始めたのがナリタブライアンの3冠達成の時だがそれ以来の3冠馬になるチャンス十分にあり。たのむから無事でいってクレイ。
それにしてもこの週末何もできんかった(笑)
2001/03/3土
これと言ってネタがないっす。なぜならほとんど寝てたから(爆)起きて競馬見てテイエムオーシャンの強さに唖然としてTV見てメシ食ってTV見て夜9時に仮眠したら次の日の昼やった(笑)
2001/03/2金
長い1日やった。日増しにスゴみをますタスクの中、急遽〆を迎えたための早急なツール作りとここ最近メインで作成してきたツールのテスト兼稼働が重なりなかなか楽しい時間(笑)その他(大小)も当然有なわけで、もうこれは確実に精神分裂症になりながらこなしてるとあっという間に日付変更だ。なんか急に今の部署の人らとも各種いろんな話ができ感無量。おかげでネットサーフィンもできないぜ(爆)。新たなプロジェクトも明かされ(やりがい多)いつぞや宣言した”余裕”の問題はしばらく無理そうだが気合いで乗り切るか。そんなこんなでやってると仕事中にも動く動く。まず米蔵のソロライブが決定。3/11日ドッグベリーで対バン有り。全てをブツけてほしい。メリットしかないぞす。あと掲示板のカキコ2つは震えた。パワーでた、とにかく復活なんや。そろそろ明るくなりそうやが寝れへんやんけ。
2001/03/1木
なんだかわけがわからないうちに3月になりましたな。まあ2月は少ないし。で「更新履歴」を見ると少なすぎ!だってここ2回がバナー貼付やもん(笑)もうすぐこのHPも一周年やしもっとちゃんとしんと。でも今回のバナーはちょっとおもろいよ。SOHOの紹介っぽいやつで、私も登録しました。いろいろスキルチェックみたいなんがあって当然大げさに書くわけだが(笑)最後の方でちょっと困った。「資格」っていろいろあるんやねえ。ポップアップリストのどれも選べなかったっす。何か役に立ちそうなのに挑戦してみようかな。けど役に立つのはムズいんやろうなあ。
今日はプログレの練習。我らにとって最初の倦怠期かな。このまま埋もれていくか、さらなるステップを上がれるか。まさしく”枝分かれどちらにいきますか?”だ。本日より練習の仕切を米蔵にコンバート。きっと新鮮な部分がたくさんでてくるだろう。米蔵がSEで他2人がプログラマーという感じ。エンドユーザーが満足でき、さらに規模のデカいシステム構築(バグ無)にしたいっす。
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