2002/03/31日 あまりものランチ
これからは仙人みたいな生活なのだが、あまり贅沢はしていられないのだ。昔にも何度かこういう時期はあったが何せ自炊はイヤなほうじゃないので、どんなに金がなくてもひもじい思いをしたことがない。 おかげでやせ細ったコトもないが ということでコンビニへ弁当でも、というトコロをぐっとこらえて棚を開ける。あまりものといっても何か豪華にということでとっておきのカニ缶をぐいとあける。ラップされた消しゴム大のニンジン、キャベツは千切りに。えのきはケツを切り捨てさらに二等分にする。主役以外を炒めここでふかひれスープの素(水で2倍に伸ばすタイプ)を投入。水をカニ缶にいったん入れ鍋に移す。主役とネギを投入しグツグツしてきたら玉子をとき入れる。ほどなくしてチンとメシが解凍デキた音。どんぶりに盛る。名付けて カニフカヒレ丼 さすがにウマいぜ。意外にえのきの感触が目立つが十分堪能デケた。何より残り物でこれだけ贅沢な気分に浸れるのがおもしろい。調子にのって とっておきのキャビアの瓶まであけてしまった まあ賞味期限が10日過ぎてたからだが(爆)。明日からもコンビニ禁止令だ。日記のネタにもなるし。
そんな感じで夜もいってしまった。ハヤりのそばめしチャーハン。 といっても爆笑問題が宣伝してる"素"を買ってきたんじゃなく、焼きそば用のそばとメシで作りやした。焼きそばのソースで焼き飯食うのも悪かないね。※足りない分をオイスターソースで補
さ・て・と、明日から4月か。戦闘開始。
2002/03/30土 昼2:30とかに起床。体はダルい。でも 明日からしばらくこんな生活がデキるのだ でもしばらくはライブもつまってるしダラダラしてたらアカンのは明白。こういう日がキタ時にいろいろ整理とかしたいこともあるし、とにかくちゃんとせんとね。アピアまでに2曲新曲発表をノルマにしよう。
コンビニいく時にいっちょうらの上着を着るとスゴくぬれてた。昨夜はスゴい雨だったらしい。
2002/03/29金 寝坊して1時間遅刻した以外はいつも通りの始まりだった。O椋さんなどはほぼいつものペースで要件をクレた。しかし、端末内のヤバいファイル等を整理してるとだんだん実感してきた。今日でお別れ。20:00K親分に最後のあいさつ。グット込み上がるモンもあったが私の役目は終わった。お疲れ様でした。
O椋さんと三田まで歩く。「ふうりん」というこれまた島さんに昔連れてってもらったすばらしい居酒屋。会社がこっちに来て一度いったが満席だったので2度目のチャレンジ。不幸を絵に描いたような彼にはめずらしく小さいテーブル席が空いていた。そういや当時島さんとはやとと座ったのもこの場所だ。どんぶり一杯ぐらいあるかき揚げ等を爆食し酒をたらふく飲んでたらコールセンター部署の人からTELが。ちょっとしたお別れ会を開いてクレるという。チトうれしかった。5人でとなりの居酒屋へ。O椋さんは会社へ(笑)。深夜まで語り合った。外は豪雨。そういや明日からプロ野球開幕。私の長いキャンプが終了した。
長い間好き放題ヤラせてクレてありがとう
2002/03/28木 明日で会社を退職しやす。思い出は全て前述の会社編や今までの日記で述べたので割愛。とにかく上京直後に入社し、私にとっては 東京そのもの でした。不本意ながらも本業であろう音楽活動よりも大きかったと思いやす。それぐらい夢中になって毎日出勤してました。でももっとくやしいのは、 融通がきき、かつある程度恵まれた収入の中、それをロッカーとして生かせなかったコト だ。いろいろムカつくコトもあったがただただ「ありがとう」と言いたい。
明日で4年と3ヶ月が終わります。
2002/03/27水 あれれ日本勝ったやん(サッカー)。本番もこうイクのかな?
あ〜今日一日がんばった(仕事)。あと2日デス。
2002/03/26火 うぅっ、キモチ悪い。3:30まで寝てたゼ。おかげで秋葉イコうと思ってたのに×。 まあ来週からおもクソいけるけどね。 「千と千尋の神隠し」をずっと見てました。おもろいねこれ。画面が小さいのも慣れるよん。明日出勤したら最後の作品のバグ取りれす。昨日肉の会に参加するためめちゃ中途半端なトコで退社したし。ちょっと楽しみ、ウフ。
2002/03/25月 今回の肉の会は強烈だった。ワカさんをのぞく5人が新宿牛角に集結し炭火焼肉を堪能。後半に初登場のO椋さんも交えた。それからワカさんが働いている居酒屋までいき飲みつづける。 このあたりから記憶が怪しい なんと3軒目のバーはO椋さんだけやったような気もする。時間も定かではない。ただタクシー降りて即ゲロだったことだけおぼえていますねん。
2002/03/24日 ほれ、やっぱりトロットスターとんだやろ?でも楽に逃げ切ったショウナンカンプは全く頭に入ってなかった。サクラバクシオー産駒か、時代を感じさせるなあ。世代交代。それにしても後藤ってG1とれへんなあ。もたもたしてたら後輩に抜かれますぞ。まあ、ここ最近新人ショボいけど。
夜TV見てたらASAYANって最終回だそうな。かなり忘れてるけどとにかくものスゴい多くのタレントを輩出したよね。ちなみに私は YURIMARIがけっこう好きでした(Where?) ただしワンパターン感は否めず他番組のサムシングエルスの方が全然インパクトあったような気もする(あん時は不覚にも泣いた)。ナンダカンダいっても数々のタレントを放出した功労者でした。これでTV東京も市民権を得たしね。合掌。
あっとHDもあっという間に半分ぐらいになったぜ。ちょっくら整理せんとね。
2002/03/23土 今期初戦のマンハッタンカフェがブッ飛ぶトコロを見て先週のジャングルポケットといい、この世代は何てアテにできないのかと思う。テイエムオペラオーを力でねじふせるたあの瞬間は何なのだ。それに比べ現3歳世代は気持ち悪いぐらいに順当な結果となってる。
にしてもまた後藤はこんなG1の前日で穴あけたなあ。 と思ってたら勝利ジョッキーインタビューで額に落書きをして登場。本命の最強馬の敗戦に愕然としてる関係者はそれにツッコム余裕もなく番組も終わったのを見て、やはり明日は後藤にしようと思った。
それから急いで予想をしてマークカードに記入、絶叫オフィスを出たのは4:30過ぎてしまいあせる。久々のチャリンコはとてもキツく、sofmap到着時点で後5分。チャリンコを止めて走りましたよ。息も荒く今後開始予定のジョギングは大丈夫なのか?なんて思ってたら新宿WINSはシャッターが閉まりカケ。係員に裏口を誘導されイキオイ良く階段を上がるも 2階 3階 4階 とすべて鉄格子が閉まってる。あきらめて1階まで戻ると 階段の横に入り口が ソコから入ればよかったノネ。高校の持久走以来の息づかいでそこから進入し別の階段で2階の売り場へ。手前は閉まってていよいよアキラめるも奥がまだやってた。ということでなんとか買えました。直後流れるシメキリのアナウンスを聞きながら 果たしてここまでして買って良かったのだろうか? と思わずにはいられなかった。明日は高松宮記念(G1 中京1200M)
馬番 B 馬名 性齢 負担
重量
騎手 調教師
 1  1  
ノボリユキオー   牡 6 57.0kg 石橋守 瀬戸口勉  
 1  2
B (外) ゲイリーフラッシュ 牡 9 57.0kg 佐藤哲三 安田伊佐夫 謎の高齢馬
 2  3  
シャンハイダロン  牡 6 57.0kg 上村洋行 増本豊  
 2  4  
(父) トウショウリープ  牡 5 57.0kg 中舘英二 大久保洋吉  
 3  5  
(父) ショウナンカンプ  牡 4 57.0kg 藤田伸二 大久保洋吉  
 3  6  
サイキョウサンデー 牡 6 57.0kg 江田照男 坂口正大 人気しすぎ
 4  7  
(外) エピグラフ     牡 5 57.0kg 幸英明 山内研二  
 4  8  
メジロダーリング  牝 6 55.0kg 吉田豊 大久保洋吉  
 5  9

アドマイヤコジーン 牡 6 57.0kg 後藤浩輝 橋田満 どう考えても抜けている
 5  10

エアトゥーレ    牝 5 55.0kg 福永祐一 森秀行 案外この距離が
 6  11  
(父) ラムジェットシチー 牡 6 57.0kg 鈴来直人 佐々木晶三  
 6  12  
トロットスター   牡 6 57.0kg 蛯名正義 中野栄治 もう終わったと見た
 7  13  
(父) テンシノキセキ   牝 4 55.0kg 松永幹夫 橋口弘次郎  
 7  14

ディヴァインライト 牡 7 57.0kg 横山典弘 伊藤正徳 人気の盲点・実力馬
 7  15
×

リキアイタイカン  牡 4 57.0kg 武幸四郎 松田正弘 元スタッフ小田君オススメ
 8  16  
スティンガー    牝 6 55.0kg 田中勝春 藤沢和雄 買いたいトコロやが
 8  17  
(外) テネシーガール   牝 5 55.0kg 山田和広 坪正直  
 8  18  
(外) トキオパーフェクト 牡 7 57.0kg 吉田稔 古賀史生  
2002/03/22金 ホロ酔い気分で電車に乗る。12時前の井の頭線は地獄です。熱気ムンムンの電車から降りるとえーちゃんからTELが入ってたので折返す。話題はPC関連-彼の仕事に及んだ。福祉系の事務の仕事をしてるのだが、かなりいろいろやらされてるらしい。 ・出版物のデザイン
・ホールの音響係
・HP制作
・顧客DB構築
・TV番組のプロデュース いったいどんな仕事なのか謎だが(笑)、がんばってやりがいを持ってやってる。 私で役に立つコトがあったら何でも言ってクレイ。そして5/10のRAGで爆裂だぜ!
2002/03/21木 吉川晃司のカッコ良さが再認識できました インドアな休みでした。明日は出勤です。
2002/03/20水 ◆さらば南麻布・特別企画 ニ郎への道〜後編〜 最後のチャンスと思って行列を目指しました。すると幸運なコトにいつも業務で行ってた郵便局から見えるそれの半分程度の人数だったのです。いきおいよく最後尾をゲトします。O椋さんは量・味だけじゃなく「なぜスグ前に自動販売機があるの?」と質問してきます。 「店内では水道水しか出さないためそれがイヤな人はお茶なりを買って持ち込んでクレ、との意味です」 と5年前、島さんが教えてクレたのを横に流します。順調に前に進んでイキ食券購入まであと少し。ざっと店内を見渡すと皆無言で食ってます。 爆量のラーメンを そうだった。とにかくそうだった。徐々に記憶がよみがえる。食券販売機まで来ました。 ・小450円
・小ぶた入り550円
・小ぶたダブル650円
・大550円
・大ぶた入り550円
・大ぶたダブル650円 ※記憶の中なんで間違ってる場合は指摘してくらさい>信者 O椋さんと綿密な打ち合わせをして小ぶた入り550円の券をそれぞれ購入。そして座席の状況的に離れ離れになるのは決定的でした。
まず彼から座席に。緊張した面持ちで構えてる。ふとまわりを見ると学生風だけではなくかなりのおっちゃんもまじってる。そして私の席が空いた。
前の人はどんぶりをカウンターにおきダスターで自分の領域をふいて「ごちそうさまでした」といって去る。 これは全部マニュアルと見た※インプットOK 記憶の中でオーダー方法を思い出す。当時の島さんでさえイマイチ理解されておらず、とにかく暗号めいたものとだけ浮き彫りになる。
座る私→水をくれる修行者(店員)→食券を渡す私。
どうやら暗号のタイミングではないらしい。ていうか目の前には 総帥が特大のずんどうを絶えずデカい棒みたいなんでこねくりまわしている 一食ずつ麺を入れるでなく全てをそれにブチまけている。極太で、お湯はもはや白湯だ。チャーシューをブッた切る。厚さは1cmはあろう。デカめのどんぶりにスープを仕込む。どう見てもテキトーにこぼしながら。まるで戦争のように麺を白湯から取り出しどんぶりにブチまける。そして5つ並んだ数だけお客に「ニンニク入れますか?」と聞きまわる。すると信者たちは思い思いに 「ニンニク・野菜・カラめ」 と暗号を発する。
"ニンニク"→ニンニクを入れて下さい
"野菜"→野菜多め?
"カラめ"→味濃い目??
あたりに解釈してるうちに上記の工程が繰り返され私の番が来てしまう。 「ニンニク入れますか?」 「はいぃニンニク入れますか?はいぃ」 どうやら答え方を間違ったみたいだ。。おかげで野菜・カラめは宣言できず。と落ち込んでいると私の目の前のカウンターにおかれた。 どんぶり山盛りの小ぶたラーメンが めんが全く見えないぐらいの野菜、その端にニンニクのみじん、間には油の海。食べるしかない。おっと、でもあんなにテキトーっぽかったのに味はちょうどいい。油のおかげで熱い。しかし言うほど油っぽくはない。ハムのようなチャーシューもウマい。野菜はキャベツともやしか(ネギ無)。メンが見えた。 うどんぐらい太い しかし全てが絶妙にからんでル。ウマいと思ってしまってる。下品さを武器にしてだ。とにかくいつもより食うスピードが速い。これは試練だ。 いや戦いなのだ 漂流教室で未来人から死ぬ気で奪った食料をくらってる感じだ。今しかないのだ
口の中が一通りムケたあたりでやっと山盛りが無くなった。といっても普通の大盛り以上に残ってるが。そして体に異変が起こりだす。確実に「もう食いたくない」と言ってくる。それにハムかい繰り返す。もはやめんは小麦粉の味となってる。「せめてぶただけでも(貧乏性)」と譲歩の感がワキ起こる。ぶたを食べる。脂身も食べる。水道水をグイと飲む。決断の時がキタ。普通のラーメン一杯分ぐらいを残しカウンターへおく。ダスターで自分トコだけふく。 「ごちそうさまでした」   「どうもありがとぁした!(総帥)」 外へ出て涼しい風を受けながらたばこに火をツケる。私の戦いは終わった。少ししてO椋さんもデテきた。ポリシーをつらぬき完食したという。ただし 仕事はやる気しない とのコト。私も言った。 「そりゃ同じでっせ」 会社までゆっくり歩いて帰る。こんなに密度の濃い昼食なんてないだろう。通う人のキモチがナントナクわかった。もう1kmぐらい歩きたい気がした(完) 追記 当時はやとは大ぶたダブル650円をペロりと平らげていた(怪物)
2002/03/19火 ちょこっとレジストリいじったら ネットの速度が倍になった ますます地獄から抜けられそうにない◆たんこ◆れす、みなさんこんばんわ。 ◆さらば南麻布・特別企画 ニ郎への道〜前編〜
今日ついにラーメンニ郎三田本店に突撃しました。あれは5年ほど前、京都時代にツアーで上京した時に島さんに連れてってもらったのです。当時お邪魔する度、近くのウマいラーメン屋に連れてってもらい、「東京ってなんてラーメンがスゴいのだろう」としみじみ思ってたもんです。で、時は経ち、そのごくごく近辺で何故か働くようになり、タンメンの店もニンニクラーメンの店もごくごく気軽に、いや、 選択の余地なく行かざるを得ない状況に※ラーメン屋しかないため なりました。あの時のありがたみなんてのは薄れましたが、ただ一つ近くて遠い店があったのです。 ラーメンニ郎 記憶も薄れてますが一番強烈だったのはここ。一番並んだのもここ。時は経ち上京してラーメン事情にも詳しくなってくと同時にニ郎のスゴさもワカっていく。数多くの信者を要する。数多いニ郎を名乗る店はチェーンではなく所謂のれんわけ。その中でもいろんな派閥があり吉祥寺系が最近ハバをきかす。人はそれを「ラーメンではなくニ郎という食い物」と表現するという。
しかも我が社の近くにはその総本山である三田本店がデンと構えてるのだ。しかし!雨風吹こうが常に店を覆い隠すように存在する行列が私には慶応義塾大学の聖域には入るなのごとく拒みます。いつぞやかなり時間をずらして試みるも 前の人で最後 というオチ付きで撃沈。土日祝及び夜はやってないぽいので「一生イケないのでは?」と半ばあきらめ気分だったのです。
そんな中好き放題に私の最後の作品に要件を加えてきやがるO椋さんが 「今日イキましょうか?」 とかるく言ってきました。時刻は2:00PM。ベストな時間でした(後編へ続く)
2002/03/18月 今日は休みとっといて正解だった。心地よい系の疲れが。昼まで寝た後MAKOTOと昨夜のビデオなんかを見る。どうもビデオカメラの調子が悪くデジタル的なノイズが入るな。買い換えるか迷うが DVDのビデオカメラなんてないのかね? 今回MAKOTOとはホント良く話をした。長いつきあいだがこんなんは初めてやね。お互いやりましょうや。彼を永福町の駅まで送る。次は5月に京都にイクときに会えるだろう。
さて、昨夜のライブのMDをMP3にしなくては。はあ、明日は出勤か。
2002/03/17日 MAKOTOはホントによく練習をする。本人曰く"弾き語り"には慣れてないので不安と緊張感を少しでもとりのぞくため、とのこと。 でも確実にウマくなってる 私もちゃんと練習しようと思いました。
4時に絶叫オフィスを出発。途中はんこを取りに吉祥寺によった。日曜日のこの町はスゴく混雑してる。電車でイクべきと認識。6時にはドッグベリーへ。仕事がいそがしく心配された米蔵もホドなくしてやってきた。急きょやることになったセッションの練習がてらのリハが終わり本番待ち。 お客があまり来ない せっかく京都から来たMAKOTOに申し訳ないことをした。でもちゃんとライブはやろう。MAKOTOが先発。すっかり落ち着いて演奏してる。なんかいいライブだったよ。本人にも言ったがスーツ着て髪をセットする弾き語りが新鮮ですぞ。これからもがんばれ。 で、我ら◆たんこ◆と∋米蔵∈。なかなか練習の時間が得られず、今までの曲での応戦。でもなんだかんだ長いコトやってるのでこなれてキテるのだ。マズマズ良かったぜ。で、最後はMAKOTOも交えてセッションを2曲。彼とフルハモりでおもしろかった。久々MP3アプできるね。
打ち上げが始まってからO椋さんが来やがる。で、気が付くとジョンとかも帰っててMAKOTOと3人に。ワケのわからん組み合わせで話し込んだ(笑)。そして何故かダータでMAKOTOからCDをもらうO小椋さん(笑)。ネイキッドまでチャリで見送ってクレた。
で、絶叫オフィスに帰ってからMAKOTOと2次会。疲れてるがいろいろ話しこむ。またおいでよ、お疲れ様。
妙な組み合わせ
2002/03/16土 夕方7時前にMAKOTO到着。明日のライブに向け単身で新幹線にて上京してきはった。手土産のビールでのどをうるおわせ高円寺へ。ドッグにいくも満席(!)だったので、ハンバーグの安い店で夕食。風俗街にポツリとある名店で鉄板ハンバーグランチ(500円)を爆食しやした。
絶叫オフィスに戻ってからもビール飲みながら、練習したり話こんだりと気が付けばすっかりくつろぐ彼もいました。さあ明日はがんばりますか。
2002/03/15金 急に暖かくなってきたねえ。おかでげ社内は蒸し風呂のようで夜にはぐったりとなってしまった。少量の酒で意識は遠のいてイキましたとさ。
しかも帰宅後の即寝中、思わず起きてしまうほど両方の鼻がツマってた。ライブ前にチトコンディションが悪いです。
2002/03/14木 アピアって出演順番が当日に決まるのだ。老舗のライブハウスにありがちな仕組みである。まあお客を呼ぶ方としてはやりにくわな。かつ開演時間は18:50なんで私を見に来てクレる方的にはかなりビミョーだ。ただ、お客は頭から来ざるを得ないので全組見てしまうという利点がある。ただし、アピアには別室という(お客にとっての)逃げ場みたいなんがあるのが気になる。昨夜サノ君が言ってた「あそこは客とれませんよ」という言葉も非常に気になる。ていうか1回ぐらい見に行くベキや。
で、今日5月のスケジュールを言いに行った。そう、ダメな日を宣言しとかなあかんからね。5月は頭のHOTSHOTに加え京都ツアーもあるのでダメな日が多くチトうしろめたかったが、ムコウも慣れたもんで即応対してクレた。ということで 5月は16日以降に1本入ります 4月が初めてということでその若い兄ちゃんがいろいろ説明してクレる。まあ前回他の人から聞いた内容ばっかだが。ただし 「トシさん(頭脳警察)んトコがトリなんで」 などとレポートしてクレた。当日決まるんちゃうの!?(笑)。まあ当然といえば当然だが。よって消去法で1番目か2番目。かつ私は初物やしもう1個はユニットなんで私が1番目の確立高。かつチケット2000円やしね。ナカナカ試練だがすばらしい新曲と気合のリアルロックとおまけのスペシャルCDで絶対後悔させないので4946。
2002/03/13水 クツの痛さもバンソーコー貼ればマシになる。
→毎回毎回これに気付くのが遅いネ。 最近懐メロ系がグッドです。吉川晃司「モニカ」とか。Thanks!Thanks!のトコがたまらんわ。
でも一般的に古い、特に歌謡曲系はオケがショボい。まあ打ち込み部分ネ。こればっかりはどんどん進化してるのでしかたないとこかも。でも どう考えても俺の方がゴージャスである まあ比べてもしかたないのかもしれんが、逆に"個人"でも十分な環境が構築できる時代になったのは確実です。要はセンス及び才能、なんて100万回ぐらい聞いてると思うが。しかし判断は完成品そのものからというコトを忘れてはならない。そのためには日頃の積み重ねミラクルな瞬間をプラス。後者の方が目立って重要だったりするのだが、80%である。でも何もしなければそれは起こりえないので、結局(積み重ねるという)努力からキテしまうのね。
ネトサフィンからCUBASEに移行しよう。。 ドラゴン藤波(新日本プロレス)社長の『ドラゴン体操』.mp3がスゴ過ぎる。まさにこれぞミラクル!
2002/03/12火 慣れると電車も悪かないかね。 【行き】
永福町--(井の頭線)-→渋谷
はとなりの明大前でけっこう乗り換えるので30%の確立で座れるし 渋谷--(バス)-→古川橋
は100%座れる。ていうかじゃなきゃ次のに乗るし。 【帰り】
古川橋--(バス)-→渋谷
これも当然100%座れる。 渋谷--(井の頭線)-→永福町
これも座れるまで待つ。かつできれば普通列車に乗りたい。そう、相変わらず本読んでるんですわ。
まわってキタ「宮部みゆき 」という人のをいってます。サスペンスもんなんやけど十分通勤の苦痛を和らげてクレる。マイナーなんかなと思ってたらごっつNo1の人やったみたい。本を読まない吟遊詩人はどうやらコレ系が好きらしい。そういや昔「かまいたちの夜(名作ゲーム)」の原作書いた人のを何冊かイッテおもろかったこともある。※その後消息不明で本屋では見かけない
この1ヶ月で
・火車
・クロスファイヤ(映画化になったらしい)
・レベル7
・龍は眠る(今読んでます)
とキテますぞ。わざわざ家でパソコンの時間までケヅって読もうとは思わんが、あの独特のイヤな(通勤の)時間の中なら逆に楽しくあっという間に過ごせる。逆に「なんでこんなに早く着くのだ」なんてのも。ホントは作詞をすべきなんやけどそりゃ逆に苦痛やし(爆)。その方法ならイヤな行列もクリアできるかも。今月中にラーメンニ郎(三田本店)並ぶか。 ただ歩く時間だけはダルいね。なんせクツが痛いし(続)
2002/03/11月 クツが痛い!
思うに"クツ"って"職場"や"バンド"に似てるのでは。クツずれの痛さなんて買うまであまり考えないでしょ。それよりも新しいことに対しての期待の方が大きい。買うまではどれでも所有できるので迷う。自分が欲しい、自分に似合う、自分が払える金額らで迷う。いざ買おうとなった時、たいてい第一希望はサイズ無で2ndに妥協したりする。(その覚悟はあらかじめデキている)
一ヶ月ぐらいは(体に)慣れない痛さと戦い、気が付けばそれもなくなってる。そうすればまた次のが欲しくなるのだ。
個人差はあるでしょう。しょっちゅう買い換える人、トコトンはきつぶす人。スゴく気に入ってる場合もあれば惰性でしかたなくという場合も。時には雨にぬれ乾かす。ドロドロになればたま〜に洗ってみる。それに合うような服を買うようにする。
徐々にすりへってくる。自分の(足の)カタチに合ってくる。(自分色に染まる)
ベストマッチな一方それは永遠には続かない。他の人のと比べてみたりする。
とにかく痛すぎる。なんとなくそれを無意識に想像し私はナカナカ買い換えられない。体がおぼえてるのかな。そしてもう後には戻れない。 ん〜イマイチかな、20点 
※"彼女"という要素も加えると35点
2002/03/10日 東京に帰ってキテます。結局ドコへイッテも花粉はキツかった。そんな中、吉祥寺へ。靴を買いました。アディダスの赤いヤツ。前回は2001/9/23に購入してたのか。半年しか持たなかった。これだから安物はダメだ。今回は奮発して8000円のにしたよん。
それから"たんこ"のハンコを作る。こういうのって2週間とかカカるのね!?しまったこんなことなら渋谷にしときゃ良かった。2000円でフォントは古印体でシャチハタのにした。用途は「チケットに押す」のです。完成したら持ち歩くようにしよう。
この1週間だらだらとしてたけど、絶叫オフィス的には事務作業がツマってきてるのだ。 ・3/17ドッグベリーDM(E-MAILしか間に合わん)
・4/11アピアDM
・↑のチケットと抱き合わせ用CD仕込み
・5/10RAGDM
・エロリアンズ曲選び
・新曲作成※事務作業ではない
・退職手続き※絶叫オフィスとは関係ない ちゃんとしよう。
会社編(最初から読む)    
2002/03/9土   −会社編Vol.7 南麻布− 引っ越すだけでなく社名も変わるという。〇スターピース。この4年少々で ・社名3種類
・ビル4種類
・レイアウト変更約30回
・PCのべ8台
・OS6種(爆) と変わっていった。南麻布へ初出勤。ものスゴく遠い。ていうか交通手段が複雑で1時間とかカカる。
原宿時代は仕事帰りにライブに来てもらうというメリットがあったが(ドッグベリーに70人来たことも!)
これからは交通的にそれもキツい。加えてあんなにいた技術者もフェードアウトしていきそういう意味でのおもしろさもフェードアウトした。全体でドッグの動員よりも少ない状況だから当たり前か(爆)。何気に南麻布は京都時代のツアーで寝床としてお世話になった島さんのお宅があった場所。マジで歩いてイケる。おかげで当時ショックを受けたウマいラーメン屋へも気軽にイケた。ある種帰ってきたという感じか。運命的なものを感じた。「移動する僕」という私の曲があるが、 「戻る場所は、ただ一つ」 枝分かれのどちらを選んでも、その間どんなドラマがあっても。
私はいろいろと考えるようになっていった。。
2002/03/8金 −会社編Vol.6 原宿− 絶頂期の〇通信を三〇さんが退職するという。彼自体お金よりも時間を優先したかったらしい。考えてみれば残業手当ねらいの他の人に比べビックリするほど早く帰ってた(笑)。でも 早く帰るアドミンっちゅうのもどうか(爆) 正式にアドミンも引き継ぐこととなった。それよりかなり寂しかった。ラストの日にヤボ用で飲みにいけなかったのが悔やまれる。そして、そんな彼を追うように〇通信の株が暴落したのだ。直前の高い時に全部売り払った彼をうらやましがるかのように現場はモノすごい雰囲気になった。そんな中、社の引越しが決定した。六本木と新宿を統合し原宿へイクという。プログレス・バーを結成していた米蔵とサカゼンビルお別れライブを慣行した。M_MGRのアイデアだった。客の中にジョンもいた。
原宿に移ると人の数がスゴかった。数100人はいたであろう。K田さんもいた。ものスゴく出世して(笑)。M_MGR組も十分胸はって挑んだ。〇itMailにホコリを持ってがんばった。慣れると原宿もイイネなんて思ってた。この頃絶叫オフィスHPもスタートした。shouters100回記念なんかもあった。プログレス・バーもガンガン活動していた。ただし出勤は定時(朝10時)に戻った。 これはチトきつかった(爆) どうやら景気は悪いらしい。〇通信の暴落の影響をモロかぶりだしていた。そして半年しないうちに〇itMailの業務が終了した。人が次々と去っていった。。
どんどん人数が減る中私は〇ビッツモ、〇PT(金髪で仙台まで出張)等まだまだ案件はあった。一方M_MGR組は次第に縮小し何十人もいたのに気がつけば一桁に、そしてツイに解散となった。屋上の夏祭りでプログレス・バーがライブできたのもM_MGRがのおかげ。悲しかった。一つの時代が終焉を迎えた。
皆それぞれいろんな部署に移り、私はK田さんの部署へ戻ることになった。当時のあの怪しい雰囲気はあまりなくとても静かなのが意外だった。
ただ懐かしい仲間と肉の会なるものを結成し定期的に飲みにイクようになった。なんか同窓会のような感じ。当時は全然そんな雰囲気じゃなかったのがおもしろい。
仕事としては、ちまちました案件がいろいろまわってクル。そんな中VBを始めた。難しいがおもしろい。もうファイルメーカーに学ぶべきコトはなかった。外注システムの担当になったこともあった。初めてオラクルの中身(?)みたいなのも見れた。これもかなり勉強になった。ホント自分の世界はせまかった。そんな中、別部署から名指しで開発案件がきた。ACCESSベースで。 やったことはなかったが即答OKした サカゼンの熱い日々を思い出し一人でがんばった。何気に一番思い入れの強い作品になったと思う。〇〇らこねっと。
それ以後は極力ACCESSで作るようにした。時間はかかるが自由度が高く、なにより充実感がある。そして案件がまた一つ。
〇eb-logistic.comだ。社内管理のe-コマースシステムだが、中身はボロボロだ。それを少しでも改善-新システムに移行するために調べた、ただひたすら調べた。そのために現場の倉庫にもいくし。O椋さんと一緒に担当した。絶頂期には一つの部署が専属だったのが我ら2人が主要メンバーになった。時代の流れだった。ただ、プロのソースが見れたのが良かった。また出張サポートなるものも体験できた。
そうこうしてるとまた引越しの時が来た。まわりを見渡すとどう考えても原宿のこのビルは広すぎた。。   →Vol7へ
2002/03/7木   −会社編Vol.5 新宿サカゼンビル後編− 非常にスリリングな生活が始まった。朝から晩までプログラミング・DB構築に特化する。実際やるべきことは多大にあった。そして私はことごとく結果を出していった。気が付くとW_MGRの右ウデになっててまわりの〇通信社員は全員 敬語になっていた メインDBも数十万のレコードでかつファイルメーカーという自殺行為の中なんとか効率よくデキるようがんばってみた。気が付けば私は自由出勤となりだいたい4:00PM〜深夜というナメた感じだった。かといって深夜にW_MGRとよく遊んでいた(爆)。他に仲が良かったのは席がとなりの森さん(後にプログレス・バーに加入→失踪)やシステムのアドミンっぽいコトをやってた三〇さん。双方〇通信の人だ。三〇さんはファイルメーカーは私が師匠だが競馬では彼が師匠なんでその話ばっかしてた気がする。昼飯もよく一緒にいった。そんな中、K田組自体六本木に戻ることが決定した。私のみ新宿に残った。そしてK田さんがかわりに、ということでM_MGRを呼んできたのだ。
迅速に現場をまとめた彼は私という武器をフル活用し業務を効率よくすばらしいものにしていく。移動してきたみら氏やHarleyらとまさしく一家を形成しどんどん結果を出していった。みら氏がMKを呼び寄せ、その(仕事とは関係ない)スキルの高さに思わず弟子入りをした。他にもでらりんやIsseiやアンナ等かなり個性的なメンツがいて楽しい空間をM_MGRが束ねていた。いつぞや、ドメインの開通フローを数ヶ月短縮し表彰メールが日本国中まわったこともあった。おかでげ「ダンス」も完成でき、かつそれをM_MGRが幅広く広報してクレかなり売れる結果となった。そして 時給が200ペソいっきょに上がった 充実感にひたってる時にデカい案件がキタ。〇itMailというこの案件自体どうしようもなく膨れ上がってイタ。ファイルメーカーじゃなく本格的なオラクルベースのシステムに改変するという。もっともだ。そしてそれに携わるメンバーが発表された。みら氏と私そして外注業者のSEとして派遣されてきた米蔵だった。我流でのDB構築オンリーだった私にはチャンスだった。全てが新しい世界。米蔵を師匠としいろいろ吸収していく。そして3人だけでこのドデカいシステム(億単位)を1ヶ月で作る体制になったときR&Rライフとのしばしのお別れを決意した。プログラマーの派遣を呼んでその管理も私がやった。結果として。。完成はしなかったが充実感と自信と希望が残った。
〇通信の株は高騰し皆、家・マンション・高級外車を買いあさり豪遊し夢を見てるようだった。誘いもあったが、これもロッカーとしての性により断った。   →Vol6へ
2002/03/6水   −会社編Vol.4 新宿サカゼンビル前編− そんな中またしても業務がひとつ増えることに。K田組がそろって新宿へいき当時最先端だったホスティング系の案件をするという。〇CMはまさしくイケイケでコワいもん無しの状態。 ・どうやって3件もやるのだろう?
・なぜ給料が上がらないのだろう? という疑問を持っての新宿行きだった。ただ、かなり絶叫オフィスから近くなるのでそれはうれしかったし、何よりインターネットという今まで経験したことのないモノがマスターできるかも、とかなりウキウキ気分ではあった。
こうしてこの会社でもっとも充実した日々が始まった。今までと違い、クライアントである〇通信の人間達が半分を占めた。当初は当然オペレーターとして入力作業をしていた。そして書類チェックの人ら共々〇通信の人間はスグ追い越してしまう。K田さんに鍛えられたおかげだ。そうこうしてたら私がちょこっと改善したソースで大騒ぎになってる。エラそうな人がいきなり私んトコへ文句を言いに来る。現場責任者、〇通信W_MGRだ。彼もプログラムの心得があるらしく実際彼が全て作ってるらしい。ただセキュリティーの規制がカカってなかったので私なんぞが踏み込めたのだ。 実際そんなコトするヤツはいなかったらしいし 別に悪意はなく業務効率を向上するためにやったことを力説すると彼は 「そっか、けっこうデキるんだな、じゃあ明日から各部署マワれ」 と即座に移動が決定した。オペレーター卒業の瞬間だった。   →Vol5へ
2002/03/5火   −会社編Vol.3 ピーク− そういう機械的な生活の中「遅咲きの花」を作成した。帰宅後の時間もたっぷりあるしなんとかデキた。京都でレコ発もし、かなり売れて新しい音楽活動の方向性が決定した。そう思ってるころ会社の業務が増えた。 単純に2倍になった それまでは10時〜18時の定時で大体終わってたが日付をまたがずしては帰れないような感じになってくる。徹夜なんかも発生しだした。そしてオペレーターの人員は増えない。完全精鋭制でやるというK田さんの考えだったのだろう。帰宅しても寝るだけ。製作予定だった「ダンス」の完成ははるかカナタに消え去った。よく近くのラーメン(ビックラーメン:既閉店)やから深夜出前を取ってた。K田さんのオゴリだ。おかげで「長い一日」という曲も生まれた。月末の〆前になると本格的な24時間体制になるため私は夜10時に出勤したりしてた。でも翌日の夕方までとか(爆)。そして、もっと考えられないような給料明細になっていた。命ケヅってるのだから当たり前だが。一日中、まるで居酒屋の中のような喧騒だった。それで得たペソでRec用にどんどん機材を買ってくだけのR&Rライフだった。
そんな中、現場とは徐々に打ち解け、たまに飲みにイクようにはなった。古〇という殺し屋みたいなヤツ(元ダフ屋)がいて何故か彼のおごりで豪遊したりもした。人気絶頂の椎名林檎のクアトロのチケットを前日に用意できる彼は本物だ。
※「ここでキスして」から始まったよなあ

また、当時よくドッグベリーでライブをやってたがクッシーというやつ(現在だんご屋社長)にギターを弾いてもらってやっと皆に見に来てもらえた。厳しい仕事の中ようやく市民権を得た感じだった。   →Vol4へ
2002/03/4月   −会社編Vol.2 社名変更− その会社は〇イクという名前。人数は10人ぐらいでMACがずらりと並んでる。ものスゴくアットホームな雰囲気で気兼ねもせず楽しくできた。主にはDBの構築だったが何故か私がMACに一番詳しく何でもシステム担当みたいな感じでもある一方、ギョーカイ系の仕事もしててサクラでファンを名乗り他の事務所からスケジュールを聞き出すということもした。ホントに毎日出勤するのが楽しかった。残業しても全然疲れず、酒好きな連中ばっかで良く飲みにいった。そんな中月末の給料明細は今までもらったことなかった数字が刻まれてる。当時始まった東京シャウターズのライブも見に来てクレた。生活が充実してた。この東京で必ず成功できる、そんな確信も得た。
そして変化がおとずれた。人員を大量に投入し〇通信のアウトソーシングをやるという。当時の現場責任者の増Dさんにも社員をすすめられた。株で儲かるという。けっこう悩んだ。この会社なら、とも思った。でも断った。 私は就職するために上京してきたのではない 〇CMという社名に変わり、どんどん人が入ってくる。そんな中みら氏も。私がいかに井の中の蛙だったのか良くわかった。そして移動が決定した。〇通信のアウトソーシングのド真中へ。しかもやりたくない入力業務だ。でも私に選ぶ権利はない。今にしてみれば増Dさんがナントカ守ってクレたのだろう。何十人にまでふくれあがったアルバイトの中では私が飛びぬけて給料が高かった。移動初日。入力オペレーターとして2人紹介された。北Gちゃん(肉の会会長)とはらぼうだ。はらぼうのスキルを間近で体験し私はますます自信がなくなっていった。
仕事自体はかなりハードで時間の経つのも遅い。いかにそれまでダラダラやってたかがわかった。それ以上に雰囲気が全然違った。毎日来る爆数の書類をチェックする部隊、それをもとに電話をかける部隊、そして我らのオペレーター部隊。変なヤツも多かった。電話なんかおばちゃんは当たり前にいるし、なんか浮浪者みたいなヤツ(お願い!ミスター)とか性別すらワカらんヤツ、髪の毛の黒い人を探すのも難しい無法地帯。なかなか打ち解けられない。yumikkoなんぞ愛想悪くコワかったもんだ(笑)。そして誰もライブに来てクレない。そんな中はらぼうだけが唯一の話し相手。MACもさらに詳しくなっていった。そして彼がシステム部に移動になるのをきっかけとして私に期待がかけられた。現場のツールの手直しDBの構築だ。これはかなり勉強になった。上司としてK田さんがスゴいオーラを出し入社してきた。彼女は私にシステム専属にはせず、空いた時間でソース改変作業をさせた。おかげでスピードが速い。そんなこんなで徐々に慣れてはいった。辞めようということも無かった。ただ、時間までガマンして働いて帰宅後Rockをがんばるという感じだったが、 気が付けばshoutersも空中分解していた。   →Vol3へ
2002/03/3日   −会社編Vol.1 最高のすべり出し− 成り上がりを目指し上京した私であったが当然"仕事"を探さなければならない。京都時代は水商売を中心に夜のがほとんどだった。でも最後に勤めたのはS洋というDTP系の会社。ロクなことはやらせてもらえなかったがそれ系のスキルも若干発生した。デスクワーククリエイティブ、ロッカーのめしの種として絶対コレにしようと思ってた。メリットとして ・椅子つきである(水商売はオールスタンディングなので)
・スキルが上がりバンドのために生かせる(DM,フライヤー)
・時給が高い(1000ペソ以上のバイトはしたことなかった) さらに給料が高いプログラマーというのも気になったが、経験が全くないのとなんか暗そうでオモロなさそうな予感があって自粛。さっそく情報誌を買ってキテ電話をカケる。でもそんなに甘くなかった。実経験がないと雇ってもらえないのだ。ならばとDTP以外で探すが、当時の私は ・ADOBE系かなり少々
・MACのみ(WINさわったコトもない)
・EXCEL・WORDすらさわったコトない というイタさでなかなか合致するものもない。上京するためにCDとかかたっぱしから売り飛ばしたぐらい金がなく、あまりうだうだもしていれずあせる。そんな中、一つの会社の募集が目に入った。 データベースの構築※MAC ん!?そういや一番自信があるのがファイルメーカーというDBソフトだった。電話をする。なんとその会社もファイルメーカーとのこと。面接を受けに六本木にいった。 shoutersの顧客DB.fmjを持って それを見せるとかなり評価され(特に年齢計算機能)好感触を得て帰宅。すると留守電に採用の通知が。こうして時給1300ペソというすばらしい職場をゲットしたのだった。初出勤は1998年の正月明け。上京してから1ヶ月がたっていた。 →Vol2へ
2002/03/2土 モーレツに花粉具合がキツつあまり寝れずに目覚める。両方の鼻は完全にふさがってル。やっぱ

春なんかダイキライでゲス

休みの日がいたずらに過ぎてク感じや。ていうか春はこの理由で声もあまり出ない。ブッキングめちゃ決まってルのでごっつ不安である。もし私がビッグなR&Rスターなら毎年この季節は海外レコーディングに当てるだろう。いいなそんな生活、健康にも(笑)。というコトで明日から旅に出ます。花粉があまり飛んでない田舎へ。ライブまでには帰ってクルんで。ていうか帰省です。 鼻水〜止まらぬ ダルい春 「プログレス・サマー」
2002/03/1金 夜遅くチケットを取りにいったアピアでの会話: 店員「まあいきなり高いチケットですけど、相手はベテランやし色んな人に見てもらえるチャンスなんでがんばって下さい」 ・・・俺もベテランなんやが ◆たんこ◆「トシさんとデキるだけで本望です」 ・・・がんばります
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