2003/07/31木 ネイキッドが帰ってキタ

毎年この季節は任意保険の更新なのだが今年は初の車検(もう3年たったのか)に加えツイデなんで

フロントガラス直しマスた

といっても私はタダ家にイタだけでダイハツN谷さんが絶叫オフィスまで逐一、鍵(引取&受渡)もお金も取りに来てクレ

デキ上がりをマダ見てないので

新品のフロントガラスの感動はないけど

・車検代 9万ペソ
・保険代 2万ペソ
・ガラス代 9万ペソ


→合計 20万ペソ


な事実は衝撃的な感動デス。車ってやっぱお金カカるなあ。まあ3つメだけはどう考えてもムダな出費だが。ていうか

最近のってナイ ※飲みにイク時はタクシーれす←確実に安上がり(爆)

アコギでもツンで旅にでも出るベキ。 追 最近の車屋も結果をカラープリントして見せてクレます
2003/07/30水 ナンカおもろいコトないかねぇ

ここ最近ロクなコトがなかったし生甲斐が欲しいレス。言うほど時間の束縛がなかったミラクル・ボスがなくなって相変わらず仕事は忙しいけどなんかヒマになったよな錯覚が。まあ自分でヤラんと何も起こらんけど




ナンダこの太字の多さは




とりあえずRECらないとイケなんでしょうがそれは当然ヤルとして他のイベントが必要デス。変化を味わないとボケます。一日中帰る時間のカウトダウン残業代の計算ばっかしてたらダメなんデス。というコトで

独りで居酒屋にイキ始めそーで

怖いデス。ピアノでも習うのか。
2003/07/29火 グ○バスサミットat神田 私の所属する派遣会社の飲み会が行われマスた。まあ私の田町の職場に対する不満も公には収まったコトになってるみたいなのでどっちかと言うと今月末に東陽町を引き上げるT兄の慰労会のようなモンカ。秋葉の外れにある中華料理屋で 一品のツマミに飲み放題 かと思ってたらしばらくして次々デテきてウマー。ただし二品目がキタ時は紹興酒,も2本目だったが(爆)。お店自体KKさんが 育てた店 らしく彼のオリジナルの黒酢ラーメンにイタるマデ非常にウマかったっす。まあ以前∋米蔵∈に連れてってもらった品川の高級店ホドじゃない)けど比べるとずいぶん安い。 逆に俺は一銭も払わんし高くてもヨカッタが にしてもコンナにおごってもらってイイのだろーか。まだグ○バスとは4月以降の付き合いなのにものスゴく飲ませてもらってる。んな感じで 9月末で辞めるコトも言えない なあ。励まされて終わりダ(笑)。T兄さんは一ヶ月弱メキシコにイクとか。 イイなあ しきりにその後を押さえようとしてたKKさんが印象的でした。
2003/07/28月 酒のほそ道を読み続ける

日々レス。ライブ前日にAmazon.co.jppから残り(4〜13巻)が届き

ライブの仕込みに黄信号

がトモりマスたがナントカ我慢して週末にトメドなくイキやした。にしても主人公(30前後のリーマン?)が毎日のように飲みにイキます。居酒屋は当然なコト定食屋でも

単品(コロッケとか)をオーダーしそれをツマミにして

とにかく酒を飲むのデス。あっと吉野家の場合は牛皿と日本酒デス。

アホデス

年齢のワリに粋な飲み方を熟知していながら要所にオチもありほのぼのしててイイ感じなんデスが10巻を超えても全く年をとらないパターンなのはアリガチだからイイとしても ※クッキングパパは全員年をとる 息子が幼稚園だったのがもはや高校生

毎日その金はドコから!?

デテくるのかという点が謎デス。まあそれも作者の願望なのかな。とにかく

独りで居酒屋にイキたくなる

RAGとドッグベリー以外では経験ないデスが昨夜散髪の帰りに散々迷って結局コンビニで弁当とにごり酒買って帰りマスた。近日中に実行してしまいそうデス。
1話ごとにコラム(吉野家の冷酒が意外にウマいとか)もあって読みごたえアリで電車でも読んでマス。今日の時点で11巻か。チト淋しいけど最後マデいったら1巻から繰り返しマス。
2003/07/27日 散髪イキますた 今回は4ヶ月ぶりだった。頭軽くなった。初めて眉毛もカットしてもらった。 ※全部ではナイヨ
でも明日からマタ仕事なんがイヤでシカタありません。
2003/07/26土 吐くかどうか1時間ぐらい悩んでたら ダイハツ長谷さんがキタ。ネイキッドもいよいよ初車検で今日は鍵の受け渡し日。でも昨夜の打ち上げ後に検問コワさから大士に乗ってもらって帰ってタから鍵はない とさっきダイハツに電話したんだがなあ 夕方に再びというコトで営業に出ていかはった。貴族とS根氏も起きてて格闘技のムービーを見たりした後各々の週末へと去っていった。疲労もコンパイなんで二度寝して夕方大士がキタ。今回はネイキッドの返却がメインじゃなく 彼のプラモに貼るステッカー製作 の日なのだ。かつそのプラモというのもトラックでそのプレートみたいなんに貼るロゴのステッカーを作るというコト。なんか専門誌みたいなんを見せられそれをスキャンしたり文言を流用したりして印刷していった。基本的に文字なのだが 「夢先案内人」「緊急自動車」「宮内庁御用達」「20t超」 ナド気合の入ったものであった。かつ航空便から運んできた荷物を運搬する専用トラックというのを イメージしてるらしく JALCARGOとかこれまたマニアックなロゴを選択したりもした。私なんかよりずっと生活を犠牲にしてRock道を極めようとしてる彼にとっては意外な趣味でした。きっと今頃作品もグレードアプしてるコトでしょう。
大士って素直でほんとイイ奴だった。文句一つ言わなかったし。もったいなかったかもなあ。彼のもう一つ(てか今はそれオンリーだが)のバンド、ママセッドも8/3にいよいよ初ライブみたいやし見にいってあげてくらさい。かっちょええよ。
2003/07/25金 ミラクル・ボス ラストライブ atHOTSHOT 4回目のHOTSHOT。リハ後のファミレスでも本番前の楽屋でも言えなかったけど本番直前のステージで今日で終わりにしようとジョンと大士に伝えマスた。だからというワケじゃないけど5時からずっと酒飲んでたのでヘロヘロの演奏で不甲斐ないデス。久々のG社の人ら(K親分初登場)や毎回見に来てクレた東陽町の人らや他のお客さん申し訳ありません。 まあこういう終わり方もイイかなナンテネ おなじみのやる気茶屋で打ち上げをし白井とS根氏そしてライブを見てないのになぜか打ち上げにいる貴族と高円寺へ。飲みまくり食いまくりの後、豪邸に帰る白井以外で絶叫オフィスへ。10時間ぐらい飲んだなあ。トコロでなんで今日で最後なのかというコトですが 内緒デス ちなみに他の2人のメンバーは何の問題もなく正直ヨクやってクレたと感激しておりマス。

いましろたかしの作品に「デメキング」という怪作がありマス。未知の怪獣デメキングを退治するため瀬戸内の田舎から上京した主人公蜂屋は主に新宿西口地下で民衆に訴えながら同志も得て日々肉体労働をしながら大都会に埋もれてイキます。さあこれからどんな大逆転が見られるのかなと思ってたら 同志と定食屋でメシ食ってるトコで終了 ※しかもおごってもらってル 「完」ではなく「未完」と描かれてルのでおそらく連載打切だったのでしょうが逆にするどさが残る作品デス。ちなみに蜂屋のかぶってたヘルメットには「天才」の文字が書かれてマスた。
話を戻します。もっといろいろヤレたハズのミラクル・ボスですが、(こういう言い方はキライですが)イイ経験になったと思い何気に満足してマス。活動開始から9ヶ月間、とにかく見にきてクレたお客さん、CDやMP3聴いてクレた方、そして何よりBのジョンとDrの大士に感謝いたしマス。
不完全燃焼のバンド
出演
01-sTrips
02-ミリオンカンパニー
03-ミラクル・ボス
−曲順−
01-ミラクル・ボスのテーマ
02-ハイスクールララバイ(新曲)
03-いらない物はすてよう
04-しとやか
05-ステイゴールド
06-ここにずっといる
07-お世話になりやした
08-僕はイイですか?
09-タクシー・ゴー(新曲)
2003/07/24木 そうか、全部買ってクレるのか白井

ライブ前日はあわただしいデス。

・ギターの弦はる
・MDのバッテリー充電(前回紛失したんで本日購入)
・アンケート印刷
・デジカメ充電
・「タクシー・ゴー(新曲)」歌詞カード印刷 
※本日完成!
衣装選び


これらに加え、白井から過去の作品を全て購入したいというありがたいメールをイタダイタのでそれらがストックされているダンボールを開ける。おっと名作「ダンス」の在庫が切レてるではないか。というコトで1枚仕込むタメ

・CD-R焼き
・ジャケット印刷(両面)・切り折り
・CDラベル印刷・貼り
・歌詞カード印刷(両面)・切り折り
・バックカバー印刷・切り折り


という工程が加わった。今さらながらこんなメンドくさいコトしてたんだなあと思う。ついでに「遅咲きの花」も完全仕様にしてあげよう。 ※リマスタリングVerはバックカバー、CDラベルなしだった
というコトで全作品

シャウターズのすべて \1,000
SHOUTERS+小倉光一 \500
一発録 \500
ドライブ \500
ライブハウスで会いましょう \500
image file \2,000
遅咲きの花 \1,500
ダンス \1,500
捻り鉢巻.jp \1,500
裏街道ブルース \1,500
プレイボール \500
Live at 大久保HOTSHOT
#06-2002/05/03(Fri)
無料
合計 \11,500
なんで

ビビって逃げるなヨ、白井

まあ「シャウターズのすべて」だけは参加してるしマケといたろか。 おっと、ママセッドのリハが終わる時間だ。大士をシモキタまでムカえにイキ自宅まで送り届け明日の機材をネイキッドにブチ込む作業をしなくては。 ミラクル・ボスatHOTSHOT 2003/7/25金
2003/07/23水 「今日は9時には帰ろうヨ」 Nリーダー

イカにして7時台に脱出するか作戦を練ってたらノックアウトくらいマスた。最近のパターンとして

【Nリーダーがいる時】 8時前後
【Nリーダーがいない時】 6時台


という感じで先日のKK部長へのアラーム事件後はすんなり脱出デキていて事実今月9時超えしたのは1回しかない。 というコトはNさんにとっては早上がりだけど私にとっては大残業という文化の違いが生ずるのデス。

「タマには早く帰って英気を養おうヨ」

それはアナタがでしょ?正直、んなトコに12時間もいたらオイル切れなんだよ!ていうか私が日々どれぐらいの時刻にズラかってるのかも認識デキてないぐらい大変そうなNリーダーでした。
ホント最近って昔話か職場のグチぐらいしかネタがありません、スンマセン。でもこんなトキこそ過去の逸話ヤネ。 ※マダマダある ミラクル・ボスatHOTSHOT 2003/7/25金
2003/07/22火 劇団伝説 (1995年秋)

それは1本の電話から始まった。声の主は全く面識がない大阪の劇団の人で彼らが主催する震災チャリティーイベントにぜひとも出演して欲しいという依頼だった。チャリティーなんでギャラは無し。ていうか1年近く経過してるし

今さら震災ネタかよ ※不謹慎の極地感情

トモ思ったが宣伝になると判断し快諾した。震災直後にRAGでやみギグというイベントに出た時、泥酔して

「こんなモンは偽善やで〜」 ※秋葉さんにニラまれ怖かった

と叫んだ私にしたら参加するコト自体矛盾であるような気もしたが無視。当時最強の15期(B.りょ〜太,Dr.え〜ちゃん,G.快人)が始まったバカリでダカラというワケじゃないがこういう飛び道具的なモノ(営業)はモーレツに必要だった。聞くトコロによるとその劇団だけで500人は絶対動員するとのコトで他にもいろんな出演者が出るし総計もっとか?ウハウハ〜と

そん時は思った

本番マデに一度呼ばれて彼らの事務所(兼練習所)までいった。出演者リストを見せられRockBandがシャウターズぐらいで他はアコースティックや漫才、DJ(当時としてはめずらしい)、ダンス等。まあそんなコトはどうでもヨク客さえ入ってクレればと思いながら何かビデオを見せられた。彼らの今までの舞台やプロモーションビデオやら要するに

自慢 ※まあワイも同じようなコトをよく絶叫オフィスで来客相手にやってたが

なのだがあまりにも長いんで一刻も早く帰りたいと思ってた時に一人の兄ちゃんが話しカケてキタ。劇団のメンバーの中からバンドを組み出演するという。どうやら私(シャウターズ)に対しライバル心満々のようで、んなコトよりどれだけ客持って帰れるかという点だけ興味がある私にとって正直ウザかった。やっと開放されて帰路にツイたけど、ふと

説明を受けにイッタつもりなのに彼らのビデオを見せられただけ

という状況となんとなく彼らの雰囲気に危機感をおぼえメンバーにアラームを出しつつネタにした。正直不安になってキタけど業者が作るような本格的なフライヤーが大量に送られてきたりしてその慣れた感じにこりゃ動員だけは大丈夫やでとちゃっかり吹き飛んでイタ。
いよいよ当日。ライブ後の爆数の客への応対に備えスタッフ2人(女子高生)を引き連れ会場の服部緑地野外音楽堂まで。大きな公園の中にある野外音楽堂でデカい。キャパは1000ぐらいだろーか、でも500でも全然スゴいコトになりそうだ。兄ちゃんも当然イテ挨拶するも無視される。何も悪いコトをせず悪口もバレてないし何より頼まれて出てる我らに対する態度カヨん、とムカつきながらリハの順番がキタ。大きい会場で関係者しかいなくてマバラな状態がプロっぽくてGOOD。 ※日比谷野音のライブビデオの冒頭に入ってるリハ風景みたいだ
ただし何気に野外は初めてで音作りがムズく真剣モードで各々アンプで鳴らし始めた瞬間

PA「もうOKデスか?」

と信じられないお言葉。どうやらPAといっても舞台専門らしく何をしてイイのかワカらないっぽい。ていうか楽器が鳴るかどうかのチェックをリハーサルと思ってるらしかった。緊急事態でメンバーと1分程度ミーティングし歌だけは可能な限り出してもらい他のDrやアンプは出音のみ ※ライブハウスじゃあるまいし
で音を作ろうというコトに。何せスピーカーも会場のデカさを考慮するとどう考えても小さかった。そう、ギターアンプなんか(劇団に頼まれ)私と快人の私物の持込で他の出演者にも使わせてアゲて欲しいと言われ当時マニアックなアンプだった快人が

「◆たんこ◆さんの方が一般的なヤツなんで使いやすくてイイデスヨ」

などと薦めた事実は一生忘れない。おかげでA2というアコースティックユニットが私のアンプを

スイッチ入ったままシールド抜き差ししてブチブチ言わせ

泣きそうな顔してる新人を怒る気にもなれずコッチが泣きたくなった。
そんなコトも営業のタメと自分に言い聞かせ楽屋に戻ると虎の子のスタッフが雑用に借り出されてル。我らに無断でだ。人間性を疑いツツも営業のタメ及び文句言って我らも手伝わされたら最悪なんでシカトした。 ※本番前やし
開演時間も過ぎしばらくした頃、ナンカ(楽屋の)外がさわがしくOH!入ってるな!」とニヤつきながら客席に向かうと

10人ぐらいしかいてない ※リハん時とほぼ同じ

どうやら歓声はとなりのアンパンマンショーの方だったらしい。愕然としながら少しずつしか増えてイカないアリーナやバラエティに飛んだ出し物をボーッと見てたらシャウターズの順番が来てしまった。よりによって兄ちゃんが激サムな前フリで向かえてクレる。 ※「京都ぉ〜1億3千人〜♪」 ←日本むかし話のメロディ

お返しにシカトしつつ早く終わらせよう ※中西戦の前の藤田の心境
という気合でいつもどおりショーを行いつつ客の数を数えたら50人もいないアンド

半分ぐらいは我らのお客様だった ※はるばる感謝

初の野外感覚を味わう間もなくさらっと終えて楽屋に立て篭もり競馬(マイルCS)のラジオ聞いていて勝った!と思ったら

アナウンサーが訂正して1着3着なのがワカり
 ※有名なメイショウテゾロ10万馬券事件

帰りたくなった。 んな篭城の中、劇団が呼びにキテ最後のバンドのセッションに参加して欲しいと言いやがる。正直イヤだったがもう失うモンは何もナイのでヤケクソで赴く。夕日も沈みカケてる中(これだけはかっこええ)、私のギターアンプから流れる不思議なリズムのなギターをバックに兄ちゃんがクネクネ踊りながらRCを歌ってル。客もあまり増えておらず主催者としてどうしてこんなにノリノリになれるんだろう ※どう考えても失敗だろ、イベント
と思いながらも兄ちゃんと目が合ってしまい、手招きされて

まるでミックとキースのようにワンマイクで「こんな夜に〜♪」

と歌ったコトはロッカー人生にオケる私の最大の経験デス。後片付けはプライドをかなぐり捨て普通に手伝いマヤカシの一体感も味わいツツ全てが終了した。そして帰り際、最後にライバルと競演デキてゴ満悦な兄ちゃんから、事務所金がないのでで打ち上げするけど一緒にどーか?(絶対にビデオ放映するに違いない)と軽く誘われたが丁重に断りソソクサと大阪を出る。疲れながらも車中では皆

劇団に対するエールが凄まじい

宇治のお好み焼き屋で我らダケの打ち上げ。非常にウマくて最後に楽しい思い出が。その後劇団とのカラみは全くなく、募金の行方すら知らされなかった(打ち上げ代?)が先の電話の主は何度かライブを見に来てクレた。

少しでもモトとるタメにとDMは送ってたんで

何より、バンドの結束もカタまったしマイナス要因はダイブ減ってはイタと思うが8年後にこうして再びネタにするコトによりプラマイゼロと思いタイ。世の中ウマい話はそうないなあ(完)
2003/07/21月 ↓二日前のマンガを全部読んでしまった↓ もうちょっと大事に読みたかったっす。
2003/07/20日 ミラクル・ボス深夜練習 なかなか皆の予定が合わないのでこの連休を利用して深夜0:00〜の深夜リハを敢行。ダラダラと休憩をはさみツツ時間を気にせずじっくりツメるトコはツメれるので良かった。結局4時過ぎにダウンしたけど新曲もナントカ完成して発表デキます。バリ帰りの大士を三鷹まで送って帰宅する時道に迷って1時間ぐらいさまよってたけどこの時間て車少ないなあ。都内ドコでもすいすいイケそうだ。 店はほとんど開いてないかもしれんが 夜の人間に戻りタイ。で、結局寝たのは6時でした。 ミラクル・ボスatHOTSHOT 2003/7/25金
2003/07/19土 Amazon.co.jpで漫画購入 木曜の夜に注文してたんが3連休の初日にやってキテいい感じデス。今回の目玉は「酒のほそ道」というマニアックなの。今の職場のトイレに置いてあった漫画ゴラクの中にあったモノで居酒屋に飲みにいって 飲み食いするだけの 内容デス。まあ1話だけなんで確信はデキぬものの、おそらく毎回いろんな店にイクんだろうなあと思ってマトメ買い。読んで見ると予想通りで大好きな「レモンハート」(バーの有名マンガ)同様繰り返し読めそうデス。これで勉強して新たな飲み屋・飲み方を発掘しなくては
今回柳沢きみおと合わせて1万ペソもいってしまいやした。 -------購入作品-------
酒のほそ道 1
酒のほそ道 2
酒のほそ道 3
--以下 柳沢きみお作品--
色男色女 2
夜の紳士
極悪貧乏人 1
極悪貧乏人 2
特命係長只野仁 1
特命係長只野仁 2
特命係長只野仁 3
特命係長只野仁 4
特命係長只野仁 5
特命係長只野仁 6
特命係長只野仁 7
特命係長只野仁 8
特命係長只野仁 9

2003/07/18金 KKさんのパワーランチ

先週金曜日に現場への不満を訴え月曜は体調不良欠勤をし火曜から復活したワケだが先月体調不良欠勤した翌日はシカトだったNリーダーが

いきなりの態度豹変(Nリーダー) ※「大丈夫?風邪?」←声がウワずってマス

してて逆に怖いナカなんとか今週も金曜マデきた。で、KKさんがわざわざ田町までキテくれてメシをおごってクレつつ状況確認をしたのデス。KKさんがが迅速に動いてクレたおかげで環境は良くなり、ていうか

普通に近づき

あれだけ無理して振舞ってるNリーダーに対し辞意を強調デキず結果的に今月一杯での引き上げもなくなって複雑な心境ダス。 まあいつNさんの発作が起こるかワカらんけど

マタKKさんに言えばいいや

とインプトします。豪華昼飯を頂きながらこの件に関しては5分程度で終え後は世間話。KKさんていつも、飲みにいった時でも仕事の話ばっかデス。ほんとパワーありマス。野望のカタまりデス。

その野望にタマに私が登場するのはどーかと思いマスが(爆)

そしてそれや今回の1件や飲みにイク約束よりも

T兄さんが8月一杯は休んで遊びまくる

というコトの方が心に残って、ていうかうらやましくてシカタありませんでした。さあ3連休ダ死んだように寝るゾ。
2003
7/17木
京都ミューズ年越ライブ vol3 '96→'97「リアルロッカーの腰痛」

3回目の年越ライブの時にはシャウターズもミューズの主力バンドとなっていて初めて年明け直前のオイシイ順番をもらい直後のREPLAYS(既に上京しデビューし当日凱旋)と一緒にカウントダウンをするという最高のシチュエーションだった。なんか吉本の若手お笑いの司会者とかイテおもろかったけど

その後彼らをTVで見たコトはない ※前も

メンバーは前年の(B)りょ〜太(Dr)え〜ちゃんが脱退しDrにくにぴょんが復帰、Bはもみ造を経てやすぼんとなってイタ。新人やすぼんは初登場時からその変体的なキャラを全開にし今にしてみると彼中心のバンドだったカモしれない。で、快人は相変わらず出れないのでバルカンにGを頼むコトに。この年は初めて東京ツアーにいき始め直前もシモキタでかなりいいいライブをキメたりして絶好調になりつつあった。だからこそもったいなかったけどバルカンもおもろいギター弾くんで思い切って変な曲中心に選んだ。1曲目はジミヘンの「パープルヘイズ」のイントロから”パーヘイズ!”と歌が始まるトコロで

”パフィー”と言って終了する ※全楽器ブレイク

「PURPLE HAZE PUFFY」からスタート。実は本番前ダベってる時腰に激痛がハシりライブとその後の生活が危ぶまれたが

ショーが始まると覚醒されて一時的に吹き飛び

いつも以上に暴れる。2曲目以降も普段ヤラないようなんが続くけどバルカンのストラトが妙にしっくりキテてハマる。最後の3年ぶりにやる「逆の人」で一見の客を踊らせて終了。REPLAYSのシゲちゃんと息のあったトークでカウントダウンをし(若手お笑いをほぼ無視)楽屋に下がったら

腰に激痛カムバック

久々に会ったREPLAYSとの打ち上げもデキずタクシーで帰宅を余儀なくされた。やっとこさ絶叫オフィスに戻ったら留守電でやすぼんが脱退の意を告げてるのを聞いてサラに痛みが増した。翌年は上京してたのでコレが最後の年越ミューズとなったが、毎年大晦日近辺になるとキッチリ腰痛は発生している(完)
01-(新曲)PURPLE HAZE パフィー
02-いそがしい毎日
03-さようなら
04-暗闇でダンス
05-太陽がまたのぼる
06-逆の人
2003
7/16水
京都ミューズ年越ライブ vol2 '95→'96「滋賀のFOさん」

前年に引き続きお声がカカったが、本年から復帰した快人が郵便局員であるため大晦日ライブは無理というコトでヘルプギターを探すコトに。まあ私が全曲弾いてトリオでも良かったんだろうが

当時はそんな発想ナッシング

だったんデス。で、せっかくやからギターを2本にしようテナ感じでマズ酒飲み友達のひぐっちもに(以下JAG)を誘い、もう一人は(何故カケてたか知らないが)メンボで知り合った滋賀県のFOさんという年上の人でイクことに。FOさんは滋賀の市役所に勤める公務員ながらも何故かプロ思考(死語)でかつアフロヘアのように見えて

天然パーマ ※生粋のROCK向き?

まあヨク言えばファンキーな感じで間違っても公務員には見えない。トニカク前年のあつしが弾く「いっちょうらでいこう」に魅せられてイテそういう感じのをやってイキたいと熱くカタり私もけっこう期待して大晦日だけとはいわずそれ以降もシャウターズの起爆剤として残ってもらおうと思ってイタ。とりあえず大晦日にムケての練習だがせっかくなんで「いっちょうら〜」やあつし時代のバラード「とりあえずこの場所からさようなら」をやろうというコトに。FOさんに合わせ滋賀の161スタジオまで、りょ〜太、え〜ちゃん、JAGとエスクードで突撃。まずバラードから

めっちゃ残念なFOさん

彼の弾くライブ音源(名演)TAPEを聴いてヒソカニ期待してたコッチがショックな中、おもクソ自己棚上してJAGに指示とか出してらっしゃる。そして色々やった後に彼の曲に対する評価

「ビートがサミシイ」 ※アナタのギターがペケペケペラリンなのです

他の曲(何をしたか忘れた)もヒドいのばっかで愕然としつつも

「いっちょうら」だけは何故かマシ ※やたらファンキー

それだけでももったいないような気もしたがJAGへの攻撃も執拗に続くしバンド内の空気も考えプロジェクトからは辞退してイタダイタ。電話したトキハートがサミシそうだった※やや良心イタム
それから4人となり一から選曲し直し短い期間で練習をして本番をむかえた。こうなったら演出に勝負をカケると考え

1曲目は福山雅治のカラオケ ※絶対君が好〜きダヨ〜♪

から始まり(ステージには私一人)、2曲目はJAGがブルースソロを弾きながら登場してブルージーにマトめるも

3曲目ではギターを置きカメラマンに徹する ※本職だったので

という演出。「ライブインフォメーションコーナー」の司会まで勤めたJAG(そのライブには出ないのにw)は終始ノリノリやし、いつもと違うギターで他の我々も新鮮で楽しみつつナントカ最後までやり遂げた。FOさんが見にキテたかは知らないが、後にJAGはワンマンショーにも呼びブルースギターを炸裂してクレた。打ち上げは忘れたけどおそらくJAGと彼イキツケの飲み屋にいったに違いない。ちなみに彼に教えてもらったバーは後10年ぐらい使用している
この事件(?)や劇団事件を乗り越え(B)りょ〜太(Dr)え〜ちゃん(G)快人の最強15期は年明けの3月に京都ミューズで初ワンマンを行い絶頂期を迎える。その模様を涙して見てたかも知れないFOさん、今頃何シテルのかなあ。

そん時のJAGが撮った写真    
01-(新曲)メッセージ
02-うそつき王子
03-太陽がまたのぼる
04-とりあえずこの場所からさようなら
05-時計
06-ちゃら
2003
7/15火
京都ミューズ年越ライブ vol1 '94→'95「いっちょうらでいこう」

シャウターズでガンガンやってたコロ、年越のトレンドは京都ミューズ出演だった。1年間コンスタントな出演が認められ初めてカウントダウンライブに出させてもらったトキはヤッタネという感じ。そん時はあつし(G)加入の初ライブで「一発録」というデモテのレコ発でもあった。シャウターズにとって初めての活動休止の後メンバーを一新し(G)かっちゃり(B)たま吉(Dr)本田という布陣で10月から活動再開しREPLAYS復帰のタメ年末の段階でかっちゃり→あつしとなったワケだが、[A面:かっちゃり][B面:あつし]とそれぞれギターを弾く人間が違うという画期的な仕様であった。ところで、この頃のメインの曲に「いっちょうらでいこう」というファンキーなのがある。あつしって、自体演奏もウマいのだがプレイの存在感がスゴく

チューニングをしてるだけで彼がいるとワカる

と言ったら言い過ぎだろーか。特にこの曲ではぴったしハマっており生活環境から生み出される攻撃的な16ビートは伝説モノ。後に快人もチャレンジするが

何せ生活環境が違うので ※彼の優しさが邪魔をした?

再現デキなかった。そう、ワリといろんな人でこの曲にチャレンジしたけどあまりイイ記憶はない。話を戻して、年越しライブ自体あっさりと終わり期待した営業活動もデキず本田とRAGの方の年越しプロライブを見にいった記憶がうっすらとある程度。そうそう、「すべてのパワーを僕にくれ」「何が何でも」ナンカが初披露だったが逆にこれらは後のメンバーで定番となった。年が明け震災翌日ライブや泥酔やみギグや十三ファンダンゴ初出演などを経て4月に空中分解し、私自身イチから出直しでソロライブを経てえ〜ちゃん、むら、そして快人と再出発しBSヤングバトルに出場したトキは感無量だった。そのきっかけが先述のデモテに収められてる「のんびり屋のケン太くん」だったのが皮肉だが。とにかくあつしの「いっちょうらでいこう」は伝説だった。複数のギタリストを魅了していった。数年後に突撃むじん君(Bは今をトキメクchainsのラリー)という企画物バンドで久々に一緒にライブをやったトキには

本人が弾けなかったホド

というコトで弾けてた時代のをMP3でアプしマスた。明日は翌年の年越しライブにて「いっちょうら」に魅せられたおっさんのお話を。
01-(新曲)エンドレスアルバイトブルース
02-いっちょうらでいこう
03-とりあえずこの場所からさようなら
04-(新曲)何が何でも
05-うそつき王子
06-(新曲)すべてのパワーを僕にくれ

2003/07/14月 そして休みマスた 今月は久々の残業代対象月間でもったいナイような気もしたけど 途中退場もありえるんで ※その場合アマリ意味がナイ ていうか頭もホントにイタかったし。約1年分のK-1のDVDをファイナライズ→ラベルプリント→ブラウズながら辞める日と金まわりのシュミレートをしてたら営業KさんからTELがあり 「ひょっとしてもうイカなくてもいいんじゃ!?」 と期待してたらハゲまされて終わりかヨ。ただ、相手会社の営業にそれとナク話を持ち出すと 「あ〜マタか、申し訳ない」 という感じであっさり非を認めたんだと。やはりリーダーNさんは狂人で前科モノだった。面接の時にしつこく「途中で辞めないでくらさい」を強調し来年3月カットオーバーまでを短期と称しずっとやって欲しい訴えの意味がワカった。 やっぱ皆嫌で辞めてったんだろうなあ はっきりいってNリーダーの人柄がガラっと変わってもMAX9月の気持ちは変わりません、スンマセン。でも9月までやらないと正直アメリカ旅行の資金繰りとかキツかったんでガマンするか。。次のトコがスグ決まってソコがすばらしい環境の職場という保証はナイんでね。 追 サラダ油虫から「乳首」という件名でメール。次のライブは絶対イクとのコト。彼もいろいろアルみたいだ。

ミラクル・ボスatHOTSHOT 2003/7/25金
2003/07/13日 フィリォ復帰戦飾れず K-1 あ〜今朝は普段より寒かったのかな?またしても風邪気味デス。ホント休みの日っちゅうのは超速で過ぎてイキ夜のK-1放送になってしまった。年々タレントが増えてイクK-1だがまだまだイタのね、極真王者。富平(変な髪)が善戦したりして盛り上がる中メインがやってキタ。 特に何もせず5R終了 ん〜休みが完璧終わった。頭がイタい。明日休もうかな。。
2003/07/12土 steinberg CubaseSX「VST SYSTEM LINK」のデモンストレーションにイッテきマスた 7月12日土 1回目14:00〜 2回目16:00〜ラオックス楽器館1F店頭にて
「VST SYSTEM LINK」とは、メインコンピュータでのVSTプラグイン/インストゥルメントの使用負荷を軽減する為に、複数のコンピュータをネットワーク接続する技術で、対応ソフトとASIOサウンドカードをデジタルケーブルで接続することにより、オーディオ/MIDIデータを転送する画期的なシステムです。つまり1台のコンピュータで処理しきない作業をサブコンピュータに分散させることにとって、コンピュータベースのレコーディングにおける限界を解決できるということです。
の2回目に。「Groove Agent」というDrシステムと「HALion」というソフトサンプラーと「VST SYSTEM LINK」という複数PC同期システム。機材がイイからかもしれないけど全て音がイイ。ていうかもう音源はPC内の時代なんだなあ。ソフトサンプラーは導入せなアカンとは思ってたけど必要ないぐらいに多機能なコトもワカった。で、マシンパワーを必要とするからSYSTEM LINKというコトか。古いPCの有効利用はすばらしいが場所もとるなあ。でも何よりスゴかったのが「Groove Agent」。各年代のハヤりのパターンを選ぶと それっぽいフレーズを自動演奏 MIDIプログラミング不要だ。邪道かもしれないが頭に描いたリズムをMIDIに落としてク従来のヤリ方もいいがコイツにリズムを出させてそれに合わせて曲を作ってクというのならアリだと思った。ある意味メンバー。グラっとキタぜ。ていうか全部欲しい。DM5で1種類のDrセットを何もカスタマイズせず今まで何十曲もやってキタのがチトはずかしくなりマスた。
で、それだけ見てトンボ帰りしたけど渋滞で2時間もカカりやがる。まあ良かったケド。
2003/07/11金 「やっぱキツいデス」 ふぅ〜今週はヨク働いた。やっとネット見れるようになったと思ったら 3日目でサーバールームへ移動となり ネットは見れなくなりものスゴくセマくなり(横幅はデュアルモニタ設置不可程度)何より苦手なリーダーNさん(躁鬱病・狂人)が背中合わせ30cmに常駐して常に脂汗ナノニ帰れません。別にやりがいがあったり居心地が良かったら時間ナド気にならないんだろうけどやっぱ苦痛ダ。私もヨクガマンした。今日もNさんに理不尽なコトを言われて 「もういいや」 と思って 三角締めをキメ たりはしなかったけどビルを飛び出して営業のKさんにTEL(サーバールームは地下なんで携帯もつながりません)。ひょっとして 値段を吊り上げるタメに前回のアラームを出したと思ってるかも しれなかったが、本心を理解してクレたみたいで即動いてクレるらしくこれでいいんだと思いたい。今月一杯とかかなあ。まだ決定はしてないけどしばらく骨休みしたいス、金の続く限り。そうだ、師匠のいるアメリカにもイカなければ。
2003
7/10木
スピードロケットの歴史

で、昨日のかつや君とのプロジェクトの話をしまSHOW。バンド名をスピードロケットと早々に決めメンボをカケてたのですが、竹千夜以外で覚えてるのはヘビメタコンビ。絶叫オフィスに現れたトキはどうしようかとも思いマスたがこれまたイイ人らでちょっとグラっとキマしたがお互いジャンルが違うというコトでそれっきり。印象に残ってるのは長髪をナビカセながら「水・土の練習及びライブはカンベンしてくらさい」と謎の条件。で理由は

ヴェルディ読売の応援

あん時真顔でコワかったっス。後はREPLAYSファンのギター(紹介ではない)。後に彼自身バンドを結成してライブ見にいったりしマスた。彼からもらった森高千里の等身大パネルは

未だに絶叫オフィスの庭にカビだらけで

生き残ってマス。彼ともう一人その昔奈良でナラしたギターのおっちゃんとマンジというベーシスト何回かスタジオ入り、とりあえずスパゴーとかやってマスた。キーが高くヘロヘロな私は人の曲はデキないと実感しマスた。マンジですが、まだ大学1年生になったばっかでいかにも言うことを聞きそうな感じでグッド。ハードコア好きとのコトでヘビメタよりは全然いいぜナンテ感じでした。第1期スピロケ消滅後も彼だけは連絡を絶やさないようにします。いつだか「飲み屋でバイト始めましたよ」と言うのでどんな店?と聞くと

「Live Spot RAGって言う店デス」 ※一言相談シロヨ

ナンテこともありマスた。それまで以上にRAGに入り浸ってはこっそり酒を出させてました。で、しばらくシャウターズに専念した後、RAGの店員バルカン(ギター)をさそってB.マンジ、Dr.かつや君という4人編成で醍醐のスタジオに入り始めました。これも数回で終わってしまいマスたが、今にしてみればいいメンバーだったと思います。後にマンジ、バルカンはシャウターズの緊急事態の時ヘルプしてクレたり、かつや君はINNOCENT PARTY Vol2で急遽一緒に演奏したりしマスた。京都ミューズホールのライブが目標でしたけどあの4人で1回はライブしたかったデス。とはいえ、スピロケのメンボも竹千夜とマンジが釣れただけでも全然儲けモンでしたけど。ん!?ていうか

スピードロケットはマダ終わってない

んだった。忘れた頃のINNOCENT PARTYじゃないけど、スピロケはバンマスのかつや君にカカってマス(続
2003
7/9水
竹千夜(タケチヨ)伝説

シャウターズをやりながらももういっちょ刺激的なんがやりタイ!という意思のモトかつや君(旧友:REPLAYSの名物ローディー)と新バンド構想で盛り上がりメンボとか出しまくったら反応が幾つかありマスた。何人かオーディションして ※口頭質問のみ
竹千夜という自称ビジュアル系の男と知り合いマスた。音楽のジャンル的に最も関わりたくない部類でしたが話をしてルと単なるヤンキーあがりのイイ奴というコトがワカり

かつや君とも意気投合

してたのを覚えてマス。出会った日に3人で食った一乗寺の横綱ラーメンはウマかった。で、結局バンドは組まなかったけど何故かツルむようになりマスた。滋賀の山奥に住む彼が祇園で働くタメ絶叫オフィスに月1万ペソで居候させてクレないか 
※亀虫ハウス2Kのうち3畳の部屋を希望
との要望をタクみに断り、代わりに駐車スポットを紹介→半年終バスで出勤・始バスで帰宅、ナンテこともありマスた。元ヤン(風)のクセに車の運転が残念で山科のセマい道を右折するのに10分とかカカる彼にしてはヨクやりマスた。そして一度だけ彼とやったバンドが先述のジュディマリのピーコバンドです。ビジュアル系の彼がなぜ!?と思うけどジュディマリはアリとのコト。私の他はドコで見つけたのか女子高生のVoに怪しいDr。ちなみに後者はタマタマ快人(ハヤト)とりょ〜太のあまり尊敬されてない先輩でだったというオチがツキますたが。譜面を渡されたけど読めないのでコードだけ暗記して練習いってマスた。生まれて初めてのリードギターでしたが不思議とアセりはなかったデス。なぜなら

竹千夜のベースがある意味安心デキるプレイ

だったのデス。ごっつ若く見えるが年齢は私の1つ下でこのギョーカイではもはや中堅。ある程度の演奏力は必須のハズでしたが。何がスゴいのかって、とにかくベーシストなのに

リズム感が残念

彼が取り仕切るバンドなんで要望を出すのデスがそれはいつも決まって1点「曲の終わりの決めは俺にやらせて欲しい」というモノでジャンプでキメるんだとか。要は彼がジャンプして着地する瞬間に他のパートも”ジャン!”と終わればイイのですが彼はいつも

ジャンプした(地上から離れた)瞬間もしくは着地するマデの間(不定期)に”ボンッ..”とベースを弾き

イツになっても合わせられませんでした。彼自身もスゴく悩み努力してたのを覚えてマス。他もDrはストレス発散ライクで女子高生はカラオケライクな感じ。そんな中とうとうライブがやってきマスた。LQ(エルク)という滋賀の草津にあるスタジオでいつも練習してたのデスがとにかくデカいスタジオで何十畳もあるなあと思ってたらソコでライブでした。駐車場も数十台分あって続々お客さんがやってキマす。

シャウターズより多い数の

普段の苦労は何だったのだと思いつつリハを終え楽屋でウダウダしてたら竹千夜が頼んできます。何やら顔にマジックで字を書いて欲しいとのコト。いろいろ細かく指示してキテ、後から思えばという字を書いてもらいたかったのだろうけど、彼の指示通りに書いた結果どう考えても

天女(てんにょ) ※右左逆ヤネン

と読みとれマスた。まあどっちでもエエけど。して天女ベーシスト竹千夜率いるJepl(ジェプル)のライブがスタートです。ニヤニヤする快人や爆数の高校生の前でノリノリ演奏。私は

イカにしてこいつらをシャウターズの客にするか

ばかり考えて奥居香モデルのテレキャスターをカッティングしてマスた。考えられないぐらい盛り上がって終了。しかし竹千夜が演奏をミスりまくったという理由でかなり落ち込んでて打ち上げもなく別れ、仕方ないので快人と山科めんめんで2人で打ち上げマスた。営業活動がデキず私も落ち込みマスた。それからシャウターズが忙しいという理由で脱退させてもらいマスたが次のギター入れて活動を続け、OBとしてライブを見にイキ(お客激減でマタしても営業デキず)大雪の中打ち上げに彼のスープラで向かう途中スリップして

道路に対し真横なった瞬間 ※後ろをイクかつや君(クラウン)は死を覚悟

は今となってはイイ思い出デス。RAGで過去メンを集めてシャウターズワンマンショーというのをやったトキ出演者よりも衣装っぽい服装で見にキテくれた彼が「何故俺を出してクレないんや!?」と言ったトキは心がイタみマスた。
※ファンタジスタな私としては不覚

「地元ラジオ局に就職してマットウな人間になる」と宣言した以来会ってませんがその後元気でやってるのかな?ナンダカンダ楽しくイイ奴でした。

明日はかつや君とやろうとしてたバンドの詳細を。
2003/07/8火 練習後メンバーを送る

昨夜の練習後、井の頭通りをずっとイキ吉祥寺を越えた三鷹まで大士を送りマスた。三鷹って初めてイッタけど飲み屋も多くサスガは中央線という感じで暮らしやすそうだった。今まで(笹塚)はあっというマに到着してたんでホトンド聴けなかった直前練習録音MDナンカを聴けてイイぞナンテ思いツツ再生したら

2曲しか録レてナ〜イ ※しうば

きっと再生が押されてタのであろう。新曲「タクシ・ゴー」はその2つの内にも入っておらずアセりマス。

【昔話コーナー】
京都でシャウターズをやってたコロは基本どんだけメンバーが変わっても一乗寺にある(いやあった)アンティックムーンという名スタジオで練習してマスた。一乗寺という町はラーメン激戦区で有名やけど路駐OKというコトも裏社会で有名。さっそうとエスクードにギターを突っ込み突撃の日々。けっこう車持ってたメンバーが多かったんでそれぞれスペースの奪い合いをしてましたけど電車で来る輩とかは私や快人が帰り送ったりしてマスた。え〜ちゃんを送るトキは山科めんめんで必ずうどん食ったりしたもんデス。で、ヨク覚えてるのがBのたま吉(♀)を毎回滋賀の草津まで近江大橋経由で送ってたコト。あまり練習音源(当時はDATに生録)を聴いた記憶はなくRockとは関係ない世間話ばっかしてたよーな。彼女の実家近くのスーパーの駐車場で無事降ろすワケですが、練習の心地良い疲労と(当時真冬で)暖房のホド良さから今にも落ちそうになりガマンできずに駐車して

2時間ぐらい車中で寝てた ※安全第一

コトもあったっけ。そうしなくてかなりヤバい一号線 ※気が付くと100Mトカ進んでる
ナンテ時もありマスた。ちなみに彼女は月下美人というバンドで活躍中で過去メンの中で出世頭かもしれません。
逆に私が免停中のトキは、快人に送り迎えさせてマスた。アン時は当然という顔をして遅れたらツメとうとう礼のヒトツも言わなかったので

この場をお借りしてお礼を言いマス「どうも」

そしてその頃ジュディマリのコピーバンド(しかも滋賀)でGを弾いててたま吉みたく行きは電車で帰りはBでバンマスの竹千夜に送ってもらってたなあ。彼の話はもっとあるので明日にしマス。

何の話かワカらなくなりマスたが吉祥寺も近くテいい町に大士が引っ越したなあというコトが言いたかったデス。
2003/07/7月 新曲2曲導入(ミラクル・ボス) 前回の激ショボライブ以来初めての練習。んで、イクラ何でもこりゃマズいっちゅうコトで新曲を2つホド着手する。1つはミラボスとしては新曲っちゅうだけの既存のだが リードギターな私にとっては文句なく新曲である で、もう1つは久々の書き下ろし「タクシーゴー」だ。フィールグッドばりのR&Rでサビはいきなり◆たんこ◆節な曲デス。ちなみにこれ構想1年とか。 歌詞はほとんどデキてないが 加えて大士がバリにバカンスにイクことにより あと練習1回 久々にスリリングな感じでイケそうデス。にしても新曲って楽しいな。 ミラクル・ボスatHOTSHOT 2003/7/25金 追 職場でやっとネット見れるようになったヨ(嬉
2003/07/6日 いったい買い時はイツなんだ!? 間違いなく今なんだがきっかけが欲しいトコロです。あぁ〜やっぱ馬券カルく外したよなあ。秋のG1シリーズまで全休するコトを堅く誓いマス。そして相変わらず休日はスグ終わるよ早スギ。 持ち帰りのタスクは1分もやってない が。明日が憂鬱デス。あっと弦もはってない請求書も作ってない髪も切ってない。DVDの整理はシタ。
2003/07/5土 魔裟斗強かったネ 当たり馬券を換金するタメだけに新宿WINSへ。でもツイ欲張って明日の函館スプリントS買ってしまった(笑)。ビリーヴを外してテイエムサンデー→アグネスソニックの馬単1点。ピンとキタんで。そう やっときたツキを逃してはいかん ので。外食したい気持ちをグッと押さえバス停まで。途中少年マガジンを拾ったので読みながら帰ったけど全然おもしろくないなあいましろたかしを連載しろ かなり前に田舎から送ってきたフォアグラの缶詰の賞味期限が近いのでカレーにのせ自作のポテトサラダと食す。フォアグラってウマいのか!?そんなこんなで楽しみにしてたK-1が始まった。この階級(70kg)なら日本人が太刀打ちデキるだろうとのコトだが武田が壮絶KOされ暗雲漂う。今年は昨年以上にビッグネーム揃いでハッキリ言って1回戦辛勝の魔裟斗は「ヤバいのではと思ってたがムエタイのチャンピォンを圧倒しKO勝ち。でも決勝の王者クラウスは確実にレベルアップしてドキドキしながら見てたら勝ってもーたね。ちょっと興奮したぜよ。にしても魔裟斗って打たれ強いゼ。
2003/07/4金 1週間無遅刻無欠勤のご褒美として 当然飲みにイキますた。先週金曜に体調不良欠勤をして以来 毎朝悪魔の誘惑 第1希望:欠勤 第2希望:午前半休 第3希望:1時間遅刻 と戦ってたんデス。最近権利ばっか主張して義務を果たさない私にしてはヨクやった自分を誉めちぎりマス。相変わらずイツ帰ってイイのかワカらない状況ではありマスが、本日はプロパーが自社の宴会というコトで19:00とかで解き放たれマスた。ていうかプロパーがいないと私はいてはイケないみたいデス。それはありがたい(笑)。プロパーといっても○ECにとっては協力会社。まあ私はその協力会社に派遣されてるワケですが。このPJ2年目のZさんなんか未だにゲスト扱いで毎朝記帳しないと入館デキないし(私も当然そう)何年カラんでるかワカらないぐらいのベテランのリーダーNさんでさえサーバー室にはZさんと一緒でないと入れない(単独ではダメの意)現状。いい意味で言えばセキュリティがしっかりしてるかもしれないが USBメモリキー使いまくり なんで意味ナシ。まあ私だけが未だネットワークに入れてないのでシカタないのだが。そんな中、中途半端な状態で今週の作業が終わったワケだがリーダーNさん曰く冗談まじりで「家で解決してキテよ」なんてヌカすので「それはアリですか?(データ持ち帰りは正?)」に 「全然アリだよ」 ※機密契約書に反するゾ と確かに言ったので 半在宅勤務計画 とりあえず今回は勤務時間にプラスする を着々と進行させるコトにしよう。まあそれだけスケジュールがキツいコトは確かで未だ自分の担当個所すらワカらない私ではあるが、いつもZさんと私にボロクソ言うリーダーNさんはそれ以上に客にボロクソ言われてるんだなあと思って 徐々に納得しつつインフラに慣れてイク 自分に嫌悪感をおぼえマス。育ててもらってルなんて思い始めてヤバいデス(どう考えてもソウ←おかげで設計に慣れ気味)。一緒に来年3月まで地獄をトモにしようとも言われた(汗)なか 9月の契約更新で絶対に辞めよう という私のポリシーを知ったらどうなのかな。ていうか次の月曜の練習んトキどうやって帰ろう。。
ナンテ考えながら高円寺から歩いてたら久々迷って2時間ぐらいカカってギブです。 追 スキを見て25(金)の休みを申請したら悲しい顔をしながらあっさり認めてクレる本日のNさんデシタ ミラクル・ボスatHOTSHOT 2003/7/25金
2003/07/3木 先月からエンゲル係数表ツケてマス まあ自前の勤務表に夕方と3つホド項目を加えた簡易版で。基本昼は弁当なんでたいしたコトないだろうと思ってたら 交通費やタバコ代を合わせると10万ペソに肉薄してる ショックだ。豪華食生活の東陽町ライフを終えて安心してたらこのザマだ。あっとちなみに 「夜」は飲み代(タク含) というコトなんでそれが大半なんだけれど。これを機に今月は節制したい。給料が今より少なかったG社時代はアベレージ5万やったからやってデキないコトはない。ちなみに世のお父さんの小遣い平均も5万ペソのハズだ。 明日は飲むけど ちなみに洋服も買わないんで上記に馬券代プラスしたのがほぼ1ヶ月の浪費代というコトだが あっとプラマイゼロだ! ヤッタネ。 ※これが言いたかった
2003/07/2水 【本日のCD】外道「ベスト外道」

バンドをやり始める前、所謂CDコレクターだった私は日本Rockの古いヤツをしげしげと購入していた。中でも一番ヨク聴いたのが外道というバンド。「20年の歳月を経て!」というキャッチフレーズで初CD化になったヤツだ。それが今から10年前なんでマサに30年前の音源というトコか。名作「拾得ライブ」を聴きまくってから数年後に自分も拾得のステージに立った時は感動したもんデス。で、それや1st「外道」や他のやらから選んだベストCDなのだが

おそらく全曲持っている

そんで、脱コレクターとなって久しいこの私がなぜ手をのばしたのかと言うとDVD付であるからに他ならない。しかもその映像は

TV放送されたドキュメント

で当時異端児で、暴走族(とも言えない社会のハミ出者)らがライブを共同企画するも当日に会場からドタキャンされて衝突するというちょっとした裏キャロル的な外道の存在をレポートした番組なのだ。なんかボロアパートに集まってメンバーと軍団が大人(世間)に対し熱いコトを言ってたりしてタマラない。でも一番の衝撃は彼らに対しものスゴくエラそーにインタビューしてマワる

田原総一郎 ※朝まで生TV

30年前やからマダ若いハズなのに単なるおっさんかつ超絶エラそうだ。

「仕事は?何やってんの?」
「外道のドコがいいの?生きがい?」
 ※ほっといてクレよ

もちろんライブ風景も入っててこの10年頭の中で描いてた外道像をイイ意味でブチ壊してクレた。バカなイメージがかなりあったけど衣装(着物)もまるでレッドツェッペリンやしGとBのカラみもまるでストーンズだ。ノリノリな曲も当時としては異例だったに違いない。

ゲーゲッゲッゲッゲッゲェーゲ・ゲ・ゲゲー・ゲー・ゲー・ゲー・外道!→ストーンズばりのリフ

「拾得ライブ」の完全版(んなもんあったのか)や他のレアな音源もリリースされるそうで当然全て買わないとイケない
ところで、ライナーにも書かれてるが外道がデビューした1973年近辺に出現したバンドは頭脳警察、キャロル、四人囃子、サディスティック・ミカ・バンド、村八分、はちみつぱい、、、、 冗談じゃなく伝説ぞろいデス。ていうか村八分の映像出てクレないかなあ。残ってないんだろうなあ。
2003/07/1火 二ヶ月目に突入

してしまいやした。1日1回は辞めるコトを考える状況で6月末日である昨日がヒトツのポイント日だったデス。いちおう一ヶ月間の試用期間の終わる日なんで。というワケで、昨夜の宴前に

ビーク宣告を期待しながら

もしくは「やってイケますか?」ナンテ選択権付与があるかもしれんと思いながらそれ自体は非常に聞きづらいので婉曲的な方法として自己申告のタイムカード提出方法を尋ねたら

「出さなくていいレスよ」

ナンテ意外なお答えが。これは
(1)ビークでかつ役に立たなかったので給料は発生しない
(2)ビークで給料は払うが残業代なんぞ払えない
(3)ビークではないが残業代という概念がそもそもないので報告する必要がない
のどれかと瞬時に判断→(2)を切に願いつつ、休んだ日すらも言わなくていいのか!?、の問いに

「そうだなあ別にいらないけど、まあ来月から考えよっか!」

と継続を決定付けるお言葉→腹をくくったワケです。にしても提出すらない現場は初めてだ。そういや先週末当日欠勤したトキの電話の反応もサバサバしたもんだった。もともと残業代(私の会社は一応保証)ナンテ期待してないし、つか残業ナンテしたくない環境やし、慣れてきたら

半分ぐらい在宅作業にさせてクレよ

と切に思う。せめてフレックスていうか10時出社ネ。まあ、変に居心地をヨクして脱出するタイミングを逃したら本末転倒なんで正式な契約延長地点である9月末を目標にカウントダウンしてイキます。

追 そしてナンダカンダ今年も半分終わってるノネ、恐ろしい。