2004年1月13日 ロック!!
おいらの周りには、プロアマ問わずミュージシャンが多い。ロックからジャズ屋さん、それにテルミン奏者だっている。
加えて、絵描きも多い。エロ漫画家やイラストレイター、書家だっている。
あと、わずかながらフォトグラファーもいやがる(笑)。日本最後のマニュアルカメラマン”まおさん”(競馬ブック表紙など)やウチからリンクしている岩井ちゃんがそうだ。
今挙げた連中の共通項である「表現者」というキーワードは、それを使う際に、気恥ずかしさと、誤解を受けるリスクを伴うものだ。その「誤解」にも、いろいろあるのだろうが、多くの場合原因に「表現者は特別」意識があるはず。
たしかに、表現をゼニに変えるプロや、積極的に作品を発表する活動家には、それぞれのジャンルに応じた洗練された技術や方法論が必要だ。それでも、「表現」する事や、する人は特別ではない。
例えば、一緒に住んでる人間が体調を崩す、なら代わりに手伝える家事はしてあげるのだって「おもいやり」や「気づかい」が根底にある「表現」だ。そこには家政婦の病欠だとばかりに放置する事から、断れる仕事なら断ってしまうまで、選択肢のグラデーションがあるからだ。絵を描いたり楽器を鳴らしたりするのも、不特定多数の観客を得ているかどうかの違いはあれど、その延長線上にあるものでしかない。
「表現者」は特別。その選民意識が作家も観客をも不幸にしている。「表現」は誰にだってできるから尊いのだ。
さて、年賀状を受け取っても返さないという、おいらの筆不精ぶりを反映した表現を取り入れるようになって10年がたつが、それでも年賀状をよこしてくれる友人は大事にすべきだろう。今年来た年賀状の中に古くからの友人「たんこ」からのものがあった。内容はCD2枚。ロッカーとして東京と京都を舞台に表現を続けてきた彼の集大成のような録音だった。
お互いが京都のライブハウスを飲み屋代わりに使ってた頃、店長の紹介で知り合ったのが7年くらい前の話。バンドブーム(イカ天世代ね)の流れもあって店内に巣別れ出来るほどいたロック野郎の中でも、彼は異彩を放っていた。独特の美意識を持っていたからだ。
喧嘩は買うけど弱いのがカッコいい。尊敬するミュージシャンの駄作をカバーするのがカッコいい。日記は毎日つける。バンド名は小文字にしたほうが目立ってカッコいい。逆上がりが出来ない。カメラを向けると必ず死体のような顔をする。
おいらが、ギターの名手「チャー」がギターを選ぶ基準を問われて「色!」と即答したのを見てカッコよく思えたのは、明らかに彼の影響だ(笑)。
あくまでも彼の生活の中ある美意識、つまり何がカッコいいかを考え実践する姿が、彼のオリジナル曲全てに反映されていた。日常にある照れ、憂いが美意識というフィルターを通って噴出される楽曲群は必ず浮き足立ったものではなく、彼の手中にあるものだった。
俺はこんなにへたれです。そんな痛々しくもある激白が、ヘロインも決める根性がないくせにストーンズみたいなかっこしてサビだけ英語の歌を唄ってるやつより凄絶な迫力を持つのは当たり前だ。
言いにくい台詞を英語にして「照れ」から逃げを打つのが定番化している日本語ロックの世界において、「照れ」と真っ向勝負をしているのが「たんこ」のスタイルでそれは、どうやらずっと変わらなかったみたいだ。
あくまでも作品の発想は日常の生活から・・・そんな御託を並べて、白い鳩や綺麗な服を着たカップルや花束や・・・といった絵ばかり描いてる正常位しか知らなさそうな女性画家がいたが、彼の作品の発想は、本当に生活の中の実感からスタートし前述の「照れ」を含みつつ昇華されているものだ。
「♪あ〜近所の定食屋・・・週に2・3回!!!」
こんな絶叫をするヤツはかっちょいいのだ。
興味を持った人は彼のサイトにいってMP3で聞いてみてくださいな。
ちなみに、おいらは筋肉少女帯と人間椅子も好きでし。
まあ、最近おいらの文章が堅い感じなのは、自信の男性器の状態を反映した「表現」ということで・・・・。
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