「裏街道ブルース」に納められた全ての曲は、決して過去への執拗なまでの憧憬でも、
独りよがりの完璧主義を貫いたものでもない。
歌を唄い続ける人には二つのタイプがあると思う。
ステージの上で完璧なまでのショーマン・シップを心得、観客の目を惹きつけるエンターテイナーになり続ける人、
ひたすらに自分の奥でギターをかきならし、自己を高め磨き上げていくタイプと。
一見シャウターズは前者のようにも見えるが、
飢餓感をほとんどパーソナルな感情で綴ったこれ以上ないというほどのタフガイな仕事をするミュージシャンだと思っている。
「何もない」ということに常に苛 立っていることが、唯一全ての飽和状態である人間をを支えているのであろう。
あたしはこの文章を東京コンプレックスの塊がウジャウジャ集まる城南地区のお洒落なカフェで書いているはずはなく、
家の真下で、どっかできいたことのある公約を、
偉そうにおっさんが拡声器を使って選挙活動している(マジでうるさいって)という状況の中、
山頭火のカップラーメンを食べながら書いている。
数ヶ月前、就職をし、毎日きちんと働いて俗に言う表街道を邁進していたつもりだった・・・
しかしそれはあたしにとっての裏街道ではないのか?
そしてそれを否定し続けることが毎日の悪夢の原因なのではなかろうか?
人生なんて最初から最終レースにエントリーさせられてるのだ。
自分の今居る場所が正しくないなんて認めなくてもいい、これからもずっと誤魔化して生きていけばいい。
ただ、そこにとどまることを決めたのなら、
少しでも悪夢から解放されるためにも「裏街道ブルース」を聴くことをお薦めする。
悲哀に満ちたこの世の天(そら)を仰ぎながら・・・時にロックは静かに叫ぶ。
これは永遠に音楽に向き合い、時に押しつぶされそうなみなさんへの処方箋であり、
シャウターズへのラブレターである。
                                            2001年6月
とある梅雨の日 河上 裕美子