前回の「ダンス」はほんま評判良かった。
「遅咲きの花」は”よく一人でやったね”という種類だが比べて、いちおう「作品」としても評価されたのだ。
実際「ステイゴールド」「ワンデイ」のような”新曲”での名曲も生まれたし、
なんかのコンテストでええとこまでイったりもした。まさしく"2nd"としては理想的だったわけだ。
それは同時に3rd制作に むけてのプレッシャーに直結した。
即座に"超えられなくても平行線"というナメた目標をかかげたものの、それすら自信がない。
「ダンス」を発表したのが2000年2月。直後からまたしてもうだうだしつつ、米蔵とプログレス・バーなるバンドも結成。
4月にはジョンも加入しライブが出来るバンドを得た。
その頃、ふと数えるとシャウターズの通算ライブが99回。
これは100回記念ライブをRAGでやるか、なんて思い、
それに花を添えるために「裏街道ブルース」を仕上げなくては!と思ったのだ。
ライブを6月後半〜7月初旬と決めふとカレンダーを見るとあと3ヶ月。
非常にキビしい期間だが、100回記念に復活するりょー太、
はやと(ほんとはえ〜ちゃんにもやってもらいたかったが、いかんせん宅録のDrはムズい)にも
参加してもらおうとゴールデンウィークは 練習と録音に捧げるべく京都に帰省した。
練習・録音ともにうまくいったが、東京に帰ってまたうだうだ。。
早々に発売延期を決め100回記念では過去のデモテのCD化でお茶を濁した(これはこれで大変だったが)。
そうこうしてるうちにプログレス・バーの活動も活発になる一方で、
さらには「捻り鉢巻き.jp」というアルバムまで発表した。
これはもっと意外に(笑)評判もよく、短期間でよくやったなあと自分を誉めたが、
ふとHDのすみっこにおかれたGWの録音のファイルが 目に付いたわけ。
参加してクレた彼らかつ私自身にも悪いんで、
プログレの2ndは米蔵にまかせ、制作を再開することに激宣言したのだ。
「ダンス」発表から1年がたっていた。
その間、機材的にはMACを買い換えCUBASE(メインのソフト)をアップデートし万全のはず。
ただ、仕事が以前の変則的な体系じゃなくなったので 歌いれが休日に限定される。
かつ新曲の進捗は最悪だった。
ただ、さすがに1年なので「考える時間」は爆的にあった。
特に新曲なんかはほとんど1年以上カケて音になっていったのである。
まず頭の中で音を(曲を)作るために時間、それを録音(演奏)するのにも時間。
ほんま時間がかかった。そう、「かけた」のじゃなく「かかった」のだ。
でも案外スッとデキたタイトル曲が良かったりする(笑)。
まあマジで今回新曲は文句ないデキ。往年のは不満も残るが。
でも前回に比べると”次作へのプレッシャー”はないかな。向上デキる点が見えてるし。
ただしそれは”もっと時間をかける”ということ(笑)。
最後に、今回たくさんの人にゲストで参加してもらうカタチとなったけど、
みんな快く引き受けてクレ、ほんまありがたい。感謝してます 。

あっ、次の構想も当然ありまっせ(笑)

2001.6.16 都内某所にて 小倉光一